岩、アンティゴネー、パヴェーゼ
寝坊して、「黒い罪」見逃す。「アンティゴネー」。去年だったかの、ギリシア国立劇場の「アンティゴネー」よりは、断然いいのは当然であるが、なにか、妙に、演技のコードが気になってしまった。ただ、コロスと、地面に埋められた、なんといえばいいか、鋪道でもないし、柱か壁かなにかの痕だろうが、地面の石との組み合わせは、絶妙。これと、「レウコとの対話」のなかの、テイレシアースとオイディプスとの対話「盲人たち」のなかの、「世界の事物は、岩である」という台詞とによって、すでにさる批評家も論じているが、ストローブ=ユイレにおける「岩石」イマージュへの固着をみてとることができる。
岩、石。
鉱物の世界。
ウィトゲンシュタインの岩石、石板。
キューブリック=アシモフのモノリス。
冒頭の音楽:ベルント・アロイス・ツィンマーマン「ユビュ王の晩餐の音楽」終曲。
副題「黒いバレエ」(細川晋「ストローブ=ユイレの映画」フィルムアート社より)
●ヘルダーリンの翻訳について。1799ー1804
○アンティゴネー20行、(手塚富雄「ヘルダーリン」より)
イスメーネー「何のこと?何かお聞きになって、それでお姉様の胸になかに暗い雲が立ちこめたのね」(柳沼重剛訳)
→ヘルダーリン「何ですか、あなたは言葉を赤く染めているように思える」
と、ギリシア語のイディオムを、直訳/逐語訳した。
○スタイナー「アンティゴネーの変貌」みすず
「ヘルダーリンのアンティゴネーは、語彙と構文上の可能性を極限にまで過激化した。
通常の言説が依っている順序依存的にして論理的な諸規則や、外界の事物への言及から、メタファーやイメージ群の内的一貫性に、関心をずらしている]
→モダニズムの源流としての所以
・ヘルダーリンのギリシア語翻訳の段階
1.初期の古典的理想主義の段階
シラーの影響。原作に忠実に、しかも自由に。
ドイツ人にとって自然なドイツ語で翻訳されたギリシア悲劇。cf.ルター
2.逐語主義の段階
逐語訳つきラテン語初等教本をモデルとした。
翻訳者の母語の慣用語法、文法、文体上の規範を無視して、ひたすら語に語をあては めていく。
3.
前5世紀のアテナイと、19cドイツとの時間的隔たりに、力動的・目的論的性格が与えられている。
時間それ自体が、テクストを変容させる。
テキストに潜在する可能性を引き出し、原作の精神に則って原作を凌駕すること=翻訳者の聖なる仕事
ヘルダーリン「注解」…
「祖国的形式」
cf.「故郷」cf.パヴェーゼ
●ブレヒト「作業日誌4」河出書房新社1948年1月5日
「アンティゴネーの暴力:
テーバイの力不足=経済的乱脈が原因。→アルゴスとの戦争
強奪されたものは、強奪することに眼を向ける。しかしこの企ては力及ばない。
もろもろの力を結び付けるはずの暴力が、かえって力をばらばらにしてしまう。
基本的な人間性があまりに抑圧されすぎて、爆発してしまうのだ。→すべてをばらばらに吹き飛ばし、破滅に至る。」
「…戦争で<あと少しの力>が足りないので、そのためにやけくその暴力を投入しなくてはならない。
つまり、法外なことがどうしても必要とされている。
…道徳という予備軍にまで道徳をかけようとする試みが失敗し、…没落をはやめる。
没落はいわばそれだけ完璧なものとなる。
オイディプスの子供たちの破滅/クレオンの子供たちの破滅が変奏反復される。…
ギリシア人と非合理性cfドッズ
ブレヒトの徹底的合理化。「人間の運命は人間自身である」
問い「観客にどんな立場をとらせるようにしたらいいのですか」
答「民衆の立場です。支配者たちの反目を目撃している民衆の立場です」
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昨日の夜、読んだ本:河島英昭「叙情詩の精神ーパヴェーゼとダンテ」岩波書店。
pp134-136に掲載されているパヴェーゼの詩「真夏の夜の月」は、相当な傑作であると思われる。
1935年8月から、36年3月までの、ブランカレオーネでの流刑。
p54.a.神秘的空間としての丘の上
耕地の届かないところ
b.恋愛
c.神話学
エイナウディ書店編集者として、フレイザー、エリアーデ、ケレーニイのイタリア語版出版
詩編「ポッジョ・レアーレ」
「短い窓が安らかな空のなかで
心を落ち着かせる
誰かが満ち足りてそこで死んだ…」
レオーネ・ギンツブルグ、カルロ・レーヴィ
pp115-6,偶発性と普遍性
個人的叙情を超えて、普遍的体験へと定着すること
pp121「流刑地」と「故郷」
pp128-9「家出ー彷徨ー帰郷」の系列を生きる男、
女の「裏切り」…
pp134-136詩編「真夏の夜の月」
「黄色い丘の群がる彼方に海はある
…