ハイナー・ミュラー様へ

kairiw2004-12-23

HM会議。とりあえずの、休止符。でも、いい感じなんじゃないすか。飲み会のまったりした感じも。
 HM会議は、とりあえず現段階では、ハイナー・ミュラー・カフェとして、続行です。

思えば、なんだかんだで、ぼくはミュラーインパクトは、相当強いレベルで、入って来ている。ミュラーとの出会いなしに、ブレヒトとも出会えなかったし、ぼく自身のヴィジョンも、ワークインプログレス/進行中の作品であるが(当たり前だが)、掴めなかっただろう。
 「ダンス」とも「舞踏」とも「演劇」とも異なるヴィジョン。つまり、ある運動体としての、舞台創作。
 分子革命の一貫。ミュラーブレヒトのおかげで、ぼくのこの15年は円環を閉じた。閉じたといっても、閉じたわけではなく、そこには亀裂も裂け目もひびも隙間もある。それゆえ、また線が引けるわけだ。
 とりあえず、ミュラー氏よりは、ぼくは恩寵をもらった。いまさらだが、ありがとうございます。ハイナー・ミュラー様。

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手塚治虫「人間どもあつまれ!」。人間ども集まれ!
むかし、全集版で読んでいたが、この実業之日本社版には、単行本化にあたって、改変される前の、雑誌掲載時のヴァージョンというかオリギナルが160ページ分、収録されていて、手塚氏の、編集/構成のやり方が、分かるようになっている。しかし、1967年から68年にかけて掲載されたこの漫画、大変なものだ。カレル・チャペック山椒魚戦争に影響されたらしい。故千野栄一先生を思い出す。チャッペック、じつはまだ読んでいない。そうか、「ロボット」からも、手塚治虫は、影響されたのか。それにしても、このような諷刺精神、いまの漫画であるだろうか?あるかもしれないが、ぼくは知らない。「人間どもあつまれ!」のような漫画が、週刊誌に載っている時代というのは、幸福だと思う。キンニクマンなどに、諷刺精神は、ない。ヴァイオレンス、スポーツ・アクション、エロ、メロドラマ、いまの漫画に、社会批判があるとしても、それはだいたいが、真面目主義というか、リゴリズムで、説教くさいものがおおい。諷刺。スウィフト。
 諷刺についても、押さえなくてはならない。ジジェクから教えてもらったホロコースト・コメディのヴィジョンは、とりあえず、諷刺である。
 ゴヤドーミエ
 マルロー「ゴヤ論」も、読みかけだ。

 ラッセル「西洋哲学史」にとりかかった。前読みかけたときも、驚嘆したのだが、なんという明晰さに貫かれた文体だろうか。哲学史を書くというとき、この本もそうだが、教科書的な、通時的に書かれるものと、ハイデガードゥルーズデリダのように、モノグラフ的に書かれるものがある。ぼくがいいたいのは、通時的なスタイルでの哲学史に関して、このラッセルの本を凌駕するものはないのではないかということだ。
 シュヴェーグラーとかあるとはいえ、ラッセルには及ばない。
 いままで書かれた哲学史のなかで、最高の哲学史である。と、一読者として、断言しよう。
 ラッセルを読み始めたのは、三浦俊彦さんがHPで「幸福論」を推薦していたからだ。たしか。
 あの本も、まだ途中だが、むちゃくちゃ面白い。
 
 ラッセルって、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考を理解しなかったとかで、ばかなじいさんみたいに言われていたが、こんな面白いおっさんだとは思わなかった。
 
 「西洋哲学史」の序説の、すごさ。