パウンド、抵抗の系譜
ラッセルによるプロティノス。美について。面白い、というか、不思議である。
いわゆる「美」とは異なる、って、あたりまえかー。ルネッサンス以前なんだもんね。
読みたかったのは、中世哲学だが、中世ヨーロッパについては、歴史的教養が不足しているので、時間がかかる。これははまることになるなと思いつつ、昨日は眠り、起きると、趣味的読書を楽しむのもいいが、来年の春の「油田」についても、コンセプトを構想しなくてはならないので、とりあえず本棚の整理/準備を始める。
日にちが前後してわからなくなるが、クリスマスの朝に、パウンドのcantosを、いくつかの翻訳と比較しながら、眺める。
原語が英語なので、比較的、原詩を読めるのだが、ときどき、というか、人名とか中世プロヴァンス詩人とかに関係する地理名、固有名は、もう。でも、絵画的には眺めることができる。といま書いて気がついたのは、これって、マラルメのun coup de desの影響だよな、当然か。いまではヴィジュアルポエトリーなんて、普通だし、映画とかcmのせいで、文字の配列による美的インパクトを与えるなんてこと、あまりに一般的になってしまった。
それはともかく、パウンドに向き合うだすと、一年間ひきこもって詩作を模索していたことを思い出す。そう、パウンド、ジョイスと出会う以前に、ぼくは人類学や神話学と出会ってしまっていた。バンヴェニスト、レヴィ=ストロース、モース(故安永寿延先生の追悼会で、モースをやることで、先生の遺志をひきつぎたいと思うなんていっていたのに、公約果たせずじまい…いや、いまもやってることになるか)、そして誰よりアーネスト・ゲルナー、エヴァンス=プリチャード。なんというか、人類学の魅力には、やはりロマン主義的感性を刺激するものがある。つまり、死んでもいいとか思えるくらい、はまれる。その後、社会科学から文学へと転向/回帰したあとも、人類学神話学言語学的視点ははずせなかった。あれはなんだ、自分なりに人類史、世界史を書きたいという欲望なのだろうか。おそらくそうだろう。
そうして、ジョイスとパウンドと出会い、なんだ、モダニズムってそういうことだったのかと、認識をあらためることとなった。このジョイス=パウンドの発見がどんな体験であったかは、いまでも自分でもよく分かっていない。相当、強烈であったと同時に拍子抜けした感もあり、勇気づけられもしたりで、とくにパウンドなんて、ロックとかパンクの先駆けにほかならないから、なんだーそういうことかと。
自分はパウンドを追っかけていたということだ。
高校のときは、モッズにもはまっていたが、そのモッズとはモダニストの略であり、ビートニクがうんぬんなんて聞かされてたけど、いまいちだったわけだが、それはどうせなら、パウンドクラスでないと、だめだと、予感していたのかもしれない。
ところで、エズラ・パウンド、ダンテとボードレールに並ぶ大詩人である。というか、詩の歴史のなかで、最も好きなひとだ。理解なんぞしていないが。
ゴダールは映画史のなかで、その文体において、パウンド主義を披露したので、そうか、こうして読まれてるわけだと知っていたが、今日の朝、四方田さん訳のパゾリーニの詩「ギニア」を読みながら打ち込んで(3時間以上もかかった)、パゾリーニも、まんま、パウンド詩法なんだと、驚いた。むろん、インタヴューもしてるし、好きだったんだろうが、ここまでばりばりパウンディアンだったとは。
こうしてみると、パウンド以前以後というのは、線が引ける。
で、パウンドというのは、モダニズムの究極なわけだが、一部の詩人を除いて、まったく受容されていないニッポンの文化レベルは、モダニズム以前ということだ。
だから、小説、くそおもしろくないんだー。まあ小説の問題はニッポンには限らないが。といっても、アメリカにはギャディスとかがいるが。
本棚をシャッフルしたので、いろいろ小さな発見があった。J・ル・ゴフ「中世の高利貸」もパウンドを踏まえていた。ジャン・ミシェル・ラバテ「エズラ・パウンド詩編における言語、性、イデオロギー」(マクミラン、ロンドン、1986)をおすすめしている。パウンド研究するかなー。まあ、でもいざ研究となると、興醒めしたりもするか。
ギンズブルグは、パヴェーゼの「レウコとの対話」に恩があるということ、また、ロンギ。ギンズブルグには、19才の時に、学校が呼んで、会ったことがある。
ギロギロしたあの目玉は、すごかったな。眼があう度に、緊張した。
講演といえば、故ブルデューは、前列のフランス人学生に向けて喋っていた記憶がある。デリダの批判というか、茶化しだったな。ニヒリズムだーとか。
ロベルト・ロンギ「イタリア絵画史」筑摩書房も読まないといけない。1914年。24才。
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パゾリーニのゴンブロヴィッチ批判。「彼が自分の個人的不幸に気がつかないのは、フロイトを知らないからであり、その社会的不幸が月並みなのは、マルクスを知らないからだ」。だが、サンチアゴについての記述はうんぬん。
パウンド、パゾリーニらの近代資本主義社会への、「抵抗」の先輩に、ウィリアム・ブレイクがいることを、「ギニア」を打ち込んでいて、想った。
忘れないうちに、ホブズボーム「反抗の原初形態」は南イタリアの千年王国主義について書かれている。しまった、「市民革命と産業革命」売ってしまっていた。
しかしこの中公新書にせよ、ギアツ「二つのイスラム社会」岩波新書にせよ、なぜ増版しないのか。まあたしかに、単行本レベルだから、仕方ないのか。というかあれか、出版業界のひとに聞いたが、編集者になってる人間が本を知らないというか、それもやばいくらい知らないらしいから、仕方ないんだろう。しかし、その噂のわりには、いい本も出てるわけで、結局、なにがどうなっているのか分からない。
しかし出版資本主義だけではないが、市場のことをいうときは、アマチュアリズムでいくくせに、なんというか、趣味判断のレベルでは、専門家じゃないと、みたいな、つまりぼくはまたたこつぼ文化についていっているわけだが、いずれも、阿呆だ。
damn it all !! (E.P.,sestina:altaforte)