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由良君美「みみずく偏書記」青土社。
ブレイクの「月の島」
old corruption
フェノロサ
洋学派としての柳田國男
郡虎彦
由良さんの文章、大変いい。講義を聞いてみたかった。
郡司正勝「かぶきの美学」演劇出版社
正宗白鳥、谷崎潤一郎らの「痴呆の芸術」
能の静レイ性に対する、卑賤美、享楽性、好色性、ゲテモノ美…
岸田劉生「演劇美論」の卑近美
饗庭コウ村
能の上品ぶった美を引き摺り下ろしたエネルギーp24
パロディ
儒教の芸術観p26
p28見せることの賎しさ
芸能性の美と文学性p30 テキストとの関係性について
テーマよりは趣向を与えるもの
実用一点張りの儒教文化p35
激烈である「かぶきの美」。これは歌舞伎ファンをしても、驚かせるものではないか。いまの歌舞伎への批判ともなっている。「伝統芸術」として回収されない歌舞伎=民衆ー町民文化のネガティビティ。これはすごい。郡司さんの「おどりの美学」は数年前に読んだが、そのときは明晰な方だと感じたまま終わっていた。それがここまで激烈な文を書かれていたとは。現在の批評家に、このような勇気を持って書かれるひとはいるだろうか。
儒教ねえ。国家宗教だったからなあ。しかもそのことを指摘したのは、三橋修先生であったが、以後、聞いたことがない。ぼくが敵視するのも、体外、儒教的なものだ。
パウンド先生からすれば、孔子を憧憬もできようが、儒教的なものより抑圧を受けた者としては、どうしても、儒教関係は、読めない。以前、論語を読もうとしたが、ぼくを放校処分した漢文の教師がちらつくし、つまり趣味判断的に、絶対に嫌いなものである。つまり、生理的に受けつけることができない。
結局、仏教もそうだった。まあインドということで、儒教よりもはまれたもんだったが、あまりに膨大というか、気が遠くなる。また、あほらしくなる。
これは、キリスト教社会に育てば、キリスト教に対してそう思うのだろう。
国有地払い下げ。土地の視察。
tさん。久しぶりである。
はちまきした破産したおっさんの話。今日、死ぬけん!日本刀。
島持ち。再就職済み。
九十九島は買えるということ。
福石観音の裏、若葉町。すばらしい外灯。何十年前、というか戦後、はじめてここに外灯が作られて以来、変更されてないのではないか?すばらしく美しい。これだよ。