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終わったかと思いきや、また別の棚、別の部屋の未整理本の群れに気づき、再整理。あほくさい。
松田道雄さんのアンソロジー「脱俗」むちゃくちゃなつかしい。
大西巨人「俗情との結託」野間宏の真空地帯について。辻潤とか、読んでたな。
新潮45の古い号、ラシュディについての対話体報告。冒頭での飛行機が海に落ちるくらいしか知らない、という箇所は、受けた。たしかに3ページくらいであの本は挫折する。ラシュディ、すごいのは分かるのだが、はまるまで準備がいる。あれ、実際どの程度読まれたのだろう。「悪魔の詩」って、タイトルが格好いいから、あと訳者の五十嵐さんが殺害されたから、購入され、おそらくそのほとんどが最後まで読まれないまま、ブックオフに。ついでに、「真夜中の子供たち」もよくブックオフで見たことがあった。ブッカーオヴブッカー取ったというのはすごいが、もしかしたら、これは原文で読まないとついていけないのかもしれない。しかし、ずっと読もうとして読めない。ラシュディとかシャモワゾーとかは。年代記的様式というのは、その舞台となっている風土についてある程度、興味がないと読めない。というか、旅行しないと、とか思う。
旅行してその土地の空気を知っておくと、想像が段違いになる。そうじゃない場合もあるだろうが。
「ある書誌学者の犯罪トマス・J・ワイズの生涯」
「新潮社出版八十年図書総目録」
ざーっと見ると、明治のころから延々、ドストエフスキーとトルストイばっか訳されてる。これが、日本人のロシアコンプレックスとかいうやつか?
それにしても、ひどい偏りようだ。
ドストエフスキーはたぶん、内田魯庵が、英訳から訳していたが、翻訳史なんて、 やると面白そうだが、あほくさいな。
二葉亭四迷も、ロシア語だった。その関係か。
ああ、外交、というか国際政治的、地政学的視点からして、たしかにロシアは、意識しないといけなかったのか。それでかな。
カントの判断力批判も、社会思想全集のなかの一冊として。
チェーホフ、ジイド。ギヨオテ。
サミュエル・バトラー…肉への道
ラルボー「罰せられざる悪徳・読書」岩崎力訳、コーベブックス
こんなに短い文章だったのか。二度読む。帯にもあるとおり、「微妙な」不思議な、読書論である。この微妙さ、読書量が圧倒的であるがゆえに、視点を無数に持っているせいで、そうなるのではないだろうか。一枚岩ではいかない、読書。
ブリコラール。
「盤上遊戯」
「三田村鴛魚全集」
「モラルと犯罪」カールクラウス
それにしても、これから、どうするか。本格的にぼやきだしてみるか。それはできないか。
暗澹たる…
黒いオリーブのような悲しみ
くそったれ。