ティーブンスン「寓話」枝村吉三訳、牧神社,1976.

「誘拐」、未完の「ハーミストンのウィア」

今日は晴れた。昨日は雨。
庭先で外壁工事が始まる。
とすると、仕事はじめは、7日。

お座敷への陽光の差し込み方。
黒壇の…

「ボナール花火」

クリーム色のカーテンの襞、

ポールトギー
ポルトガル
リスボンオリヴェイラの運転、スピード狂。


霧島計画。

ひさびさに服を買う。まとめ買い。

金八先生。見てないが、いま目に入った15分くらいのシーンは大変暗い。
しかし考えてみれば、教育もののドラマは、暗いもの、エグイものが多い。
小学校のときに見たものは、不良が、教師を殺害してたし、あるいは母親が息子に性的虐待したり。見たことはないが、積み木くずしとかもそんなのだろうか。
 社会問題。こどもたちの世界に介入する社会…
 こどもたちの世界あるいは社会の、自律性。とくにその残虐さについて。
 だが、一般社会の方が当然、残虐である。
 かといって、こどもたちは無垢ではない。
 ゴールディング蝿の王」。映画版。
 「未開社会」としての「こども」の社会。
 またも売って手放した本であるが、フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」。
 やはりあの本、売るべきではなかった。
 ブローデルもそうだ。あの手の一流の歴史書というのは、時がたっても、趣味の読書として、読めるから、売らない方が賢明だ。
 しかし、「こども」と「大人」の分割線は、社会文化的にいくらも引かれてはいるが、各時期における通過儀礼。だがそれはあまりに世俗化され合理化され、通過儀礼としての機能は実質的にはほとんど果していない。
 そのへんでアダルトチルドレンみたいな適当な話になってくる。そうではない。
 もともと、「大人」がいたか、ということ。
 いまの世代がとくに若いわけでも、かつての世代が、いまよりもっと老成していたということは、怪しい話だ。すくなくとも、疑うべきである。
 感情の表出システムの変容。
 感情文化(?)の歴史。
 名誉のモラル、恥のモラル、…