霧島、書籍整理表1.

10日、早朝、佐世保発。昼ごろ鹿児島中央駅シェレール。ロト。ソドム。磯庭園。3時ころ鹿児島中央駅発、霧島神宮駅へ。ロイヤルホテル。高千穂峰が異様に美しい。懐かしい悪趣味な高度経済成長期時代の美学に貫かれたホテル。ロケーションの異様な美と、ある意味で異様な悪趣味(つまり悪趣味には上がいるので)のホテルとの対比。こういうホテルは、2,30年前のひとたちがなにをやっていたのかが分かるという社会史的関心を刺激する。
11日、レンタカーで霧島神宮霧島連山。高千穂河原。韓国岳。鹿。雪。えびの高原。むちゃくちゃ寒い。吹雪であった。それにしても、さすがは高天原タカマガハラ。いやー、フリードリヒ・ヤパーニッシュで、浪漫派的空想に遊ぶ。というか、すごすぎ。ありえない。霧島、国立公園第一号であるらしいが、たしかに、こここそ日本の起源、核であるのだろう。こりゃアニミズムにもなるわ。アニミズムの崇高論?
 いわさきホテルでお茶。ここ、よさげである。モダニストにはたまらない(感じがする)。すくなくとも、ロビーの柱は、相当いい。
 妙見温泉雅叙園。広告資本主義の王道をいくというとよく分からないか、鄙びた、古民家、手料理、岩風呂というやつで、さすがに居心地がいい。しかし、演出された野趣と、ほんとうの野趣は違うのだー。奈良の火事で焼けてしまった新薬師寺の宿坊などが、ほんものの野趣である。と書いて、思い出した。いまはなき日吉館。おばちゃん。のらちゃん。ひるねちゃん(ねこ)。ぎりぎり間に合ってよかった。これは語り継いでいくべき体験であった。
12日、高速で、吹上浜へ。まったく整備というかリゾート化されていなかったため、こここそ海だー!という感じ。ノルマンディーの海辺。クールベの海。「遊泳は危険」との表示。波が強すぎるのだ、恐い海だ。白浜。
 市来まで行って、鹿児島市街へ。桜島。一周。鹿児島はナポリ姉妹都市らしいが、
ここ桜島はプチシチリアだ。光、植物が、風土が、もろである。
 ラーメン、のぼる屋。これはまた、たたずまいからしてすごいのだが、中に入ってまた驚く。日吉館みたいな、「歴史」との出会い。すごい時間。
 で、むちゃうまい。これはすごいのだが、まずおばあちゃんの手さばき。
ただただ、間に合ってよかったという思いである。おばちゃんも、やがてなくなるだろう。そうなる前に食べることができてほんとうによかった。ラーメン、ラーメン騒ぐやつはここまで来るべきだろう。武蔵屋より好きだ。そのロケーションが最高なのだ。これに匹敵するのは、そば界の神田まつや、うなぎの宮川とか、中華は…渋谷の新楽飯店か。沖縄そば、ソーキそばだったか、ととんこつとのあいの子。いや、雑誌にたまたま載ってて、一番古いとか書いてあって、天文館の中心よりちょっと外れてるので、とりあえず、と思っていったのだが、その外観に圧倒され、内観に圧倒され、場所、ひと、蒸気、味、に圧倒され…おばちゃん、おみやげでいもとみかんとぽんかんとボタンアメと桜島の写真くれるし(!笑)。だから、本物の職人というのは、もう天使なのだ。
 山形屋。で、帰路。
概観するとこんな感じか。デテイルおよび、想念したことは、またいろいろあるのだが、ホテル、インターネットがなかった。その点でも、ホテルブリストルのことを思い出す。あー。なんかしらんが、ほんとあのホテルは気に入ってしまった。F.アムマイン。


■本を送る、20kg。これが着けば、棚には入りきらないので、いずれかの本を処理しなくてはならなくなる。それで、いまは東京の本たちと距離をとれる。
 哲学(史)、政治、社会学(理論と歴史)
 詩学(理論と歴史)
 フランスもの  
 英米もの
 ドイツもの、日本もの、その他。

 舞踊、演劇、パフォーミングアーツ(理論と歴史)
 一般芸術general arts(理論と歴史)
 映画(理論と歴史)
 
 ジャンルから整理するとこんな感じか。
 で、なにを減らすか。とりあえずの目標として。

 a-1.一番多い、フランスものを4割削減しましょう。
b-1.資料的な価値の少ないもの(つまり現在の関心の対象ではないもの)のうち、
さらに二次的なもの。というと自分でもわかりにくいな。
b'-1.二流の本で、さしあたってはいらないもの。
c-1.ドゥルーズハイデガーバタイユ、デュラス、デリダマラルメボードレールギリシア悲劇エリアーデ、デュビー(中世史)など、重要で欠かせないがその冊数が多いもの。とりあえずすでに読んだもののうち、さしあたっては読まないものを減らすこと(これは売却不可なので、実家に送るという選択肢)。しかしこれはかなりリスキー。
 d-1.c.で記述したことをさらに掘り下げると、ぼくの関心が、理論的(?)なものに強くあるということが現れる。すると、理論構築のための資料(理論書・哲学)よりも、素材的資料(視覚系資料はさすがにはずせないので、歴史・人類学関連)の方を減らす必要がある。この点からいえば、ひとつのアイデアとして、デュルケム、モース、レヴィ=ストロースらの本を実家に送ることはかなり賢明であるかも。
 
 反芻しよう。(こうやってがっちり事前に原則を立てないと、整理する途中で、考えだすとすぐに5時間とか経ち、過度に疲労してしまう。)
 
 a-2.候補として、ソレルス、シモン、フランス現代詩、レリス。ペレックら、ウリポの連中もいまはいいかもしれない。ジャリも。とりあえずクノーだけでいいような気が。
b-2.これはやはり現在の関心の対象ではないものと言い換えよう。ということで、b'-1は、削除。
 b-3.アメリカものも結構ある。ここには、ジョン・バース、ソール・ベロウがある。
 とりあえず、フィリップ・ロスに集中。ついで、ピンチョン。
 オースターもロスのあとでいい。実家へ。
 難しいのは、スナイダー。審美的には売却してもいいのだが、なにか妙にこのひとには親近感がある。詩人としてとくに好きなわけでもなく、エッセイもとくに好きではないのに、なぜか親近感だけはある。自分のなかのスナイダー好きを恥じているような、変なひとだ。というか、ビートニク全般、そう。しかしスナイダー、ギンズバーグ、オルソンは、パウンド関係として括ることもできる。…うーん。
 フォークナーは綾原が読むといって、置いてあるが、訳で読むものじゃないと思われる。マーク・トウェインと同じで、南部の方言で、なんで「おらは…」なのか、というか気持ち分かるが、全然、読めない。ちなみにこのことで、購入に至ってないものが、ヴェルガのマラヴォリヤ家。せめて九州弁か東北弁か、どちらかで統合してほしい。というか、ヨーロッパの方言を日本の地方の方言で翻訳って、なにか根本的な誤謬がある。それは、対応の短絡だ。ナポリが「田舎」であるというなら、東欧とかアフリカも「田舎」だろう。それらを日本の方言で翻訳されてはいない。あるいはフランスでも、南仏だからって、「おらは…」なんて訳されてない、というかそのように対応すべきではない思われる。方言詩の翻訳か。パゾリーニのフリウリ語じゃなかったカザルーサ語だったか、あの方言詩は、翻訳不可能か。ついでに。詩の翻訳不可能性については、それは前提であるにすぎないということ。詩は翻訳可能である、とパウンド先生はおっしゃていた。むろん原文対照表つきで、とか思うが。詩には、いい詩と悪い詩の二種類しかないとはたしかボードレールかエリオットかの弁であったが、翻訳も同様。よって、悪い翻訳のものは整理。だが、原文を読むさいの資料として必要なものは除く。となると、フォークナーはやはり外せなくなる。
 原書でいつか読みたいものと、原書で読みはしないが、とりあえず目を通しておきたいものとの区別。一時停止。
 b-4.イギリス。ゴールディング。FREE FALLだけでいいのか?うーん。
   ウォーは読む。ジョージ・エリオットヘンリー・ジェイムズ…うーん、外せない。イギリスものはそのまま置いておこう。
 c-2.これは、a項目、b項目の処理のあとで、本棚の収容スペースとの相談となる。
 d-2.これはc項目より優先してやろう。人類学関係は半分に減らそう。
 c-3.理論といっても、あくまで実践のための理論。実践理性を鍛えるために。
 e-1.ある一冊の本に、何冊かの本を集約させること。アクィナスとかスコトゥスとかプロティノスとかのものは、重要なのだが、アタリマエ大変である。ラテン語もやりたかったわけで、妙に、うーん。だめだ。やはりこの辺の西洋古典はいまはまだはずせない。仏教、インド関連の方を後にした方がいい。インド関連もその意味では、実家に送るか。しかし、この辺、すでに処分したあとで、かなり数は減ったのだが。中途半端はいけない。せめてもう5年はみっちりヨーロッパにつきあおうなんて、そんな意気込みは不要。あんまり考えすぎないこと。実家には一年に一回は帰るようにした方がいいし、その回数も、やはり増やしていい。と、そうなると、日本の明治関連の(9割を処分して、いまは1割しか残っていないな)ものは、幸田露伴をのぞき、すべて実家へ。

e-2.といっても、この辺はもはや文庫の領域だ。それやるくらいなら、文庫に関しては、b-3の翻訳論的観点からして、処分していいものがほかにあるだろう。
 
 e-3.ところで、ルソーは実家へ。ドイツロマン派…、これはジャン・パウル、アイフェンドルフ、ノヴァーリスなどいくらもいるが、やはり置いておこう。

これでとりあえずすこしは片付くと思われる。
 上演芸術関連には、二次的なものが多くあるのだが、それらは、舞台に関係するのを完全にやめてからでいいような気がする。
  
 原書で読むメリットはいくらもあろうが、ひとつ思うのは、時間をかけざるをえないから、関心の焦点が保存される(ような気がする)こと。
 
 
■母親の友人の娘カップル、冬山で遭難、凍死。
 つい二日前、えびので、冬山に登攀しようとするものは、死を覚悟していくものという話をしたばかりであった。半自殺というか。
 死を覚悟したうえで、自然に「挑戦」するのは、いい。冒険主義における過度のエゴイズム(?)に辟易するといえ、それでもやはり冒険に価値はある、というか、冒険の快楽をぼくは否定はしない。むろん、この場合での冒険とは、自然との闘争ということで、それはもちろん人類の歴史に貫通する事態である。
 だがかりに、死を覚悟していなかった場合、それは絶対に否定する。その場合、ひとことでいえば、自然をなめるなのひとことである。だけではない。冒険から、冒険的要素を抽出し、「スポーツ・レジャー」として、いち産業界を形成しているわけだが、死やリスクを隠蔽したうえで、それを行うということであれば、それはまったくくそプチブルジョワ的感性なのであり、もしそうなのならば、ただたんにそれは悪行である。
 
…段階的な死(病い)、偶発死(事故死)、意図的死(自殺)…
…生命を危険にさらし、死に向き合うことで得られる快楽、冒険のエロティシズム。
 
まあ、でも常識的に考えて、死を覚悟してないなんて、考えられないから、遭難死といっても、その正確な意味は、やはり自殺である。偶発性が若干強い。
 すでにぼくにも自殺した友人がいた。いわば典型的な、「通常の」自殺であった。偶発的というより意図的な……自殺についてはぼくはその権利を認めたい。遺族に迷惑をかけないやり方がむろんよりいいが。中学生のころは、自殺こそ、唯一の自由、と考えたこともあった。
 それでぼくがいわんとすることは、自殺についてではなく、冬山での遭難死、つまりスポーツとしての冬山登攀が、自殺であるということが、じつはいがいと、明示的には認知されていないのではないかということだ。
 これは、気球だとかグライダーとかあの手の「スポーツ」、なんと総称されるのか、あるいは総称概念はないのかもしれないが、ハイリスクスポーツ全般にいえることだ。
 以前、山で死にそうになったことがあった。あのまま墜落していたら、いまはいないわけだ。で、その体験からいうと、生も死もどうでもいいという感覚。
 あまりに戸隠が美しいもので、ここで死にたいと思わせるのだ。霧島でもそう思った。死ぬなら、ああいうところで、死のう。「死のう団」みたいだな。