アメリカ的身体

ダムリハーサル。濃密となってきました。
昨日は、ビーバー「戦闘バッターリヤ」アーノンクール指揮
    セゼリア・エヴォラ「サン・ヴィセンテ」

今日:アラン・バデュウ「聖パウロ聖パウロ

 パゾリーニ関連で、どうしてもパウロのことが気になってしまって。
ドゥルーズの「ニーチェと聖パウロ、ロレンスとパトモスのヨハネ」in批評/臨床
 
 ドゥルーズホイットマン
  アメリカー断片ーサンプリング::ヨーロッパー構成ー有機的全体
  Specimen days

  :諸関係は、その関係の項に対して、外在的である(p123)

関係の創設。関係づけ。
「可変的な諸関係のコレクション」…連合主義
アメリカ:1。断片的なるものの自発性あるいは生得的な感情
     2。そのつど獲得され創造される生きた諸関係についての省察
「自然」と「歴史」への大いなる視角と聴覚…

 ホイットマンは、以前読んだ時、自我の謳歌みたいな感じで、ただそれが病的な閉鎖性を感じさせることのない(内在主義的な面)、なんかアメリカって感じで、それがたしかに「大いなる健康」というか、そのアメリカ的オープンネスが、基地の町で育ったぼくとしては、非常に懐かしく感じられたものだったが、なるほど。
 パウンドやエリオットは結局、古層としてのヨーロッパ、先祖への回帰、「大いなる歴史あるいは過去」へ回帰していった。パウンドにはホイットマンインパクトは見ることができるし、その情動のありかたは、ある意味、完全にアメリカ=ホイットマンだ。初期は違うが。推測してみる。ホイットマンを全否定した後、素材を、古典=「歴史」の領域へと移し、いろいろあって、結果、その詩的情動がパウンドを死に追い込まなかった。そうしてその詩的情動とは、まさにホイットマン的サンプリングへと向かうものだった。つまり、裏ホイットマン。対して、エリオット。このひとは、たぶん、だが(伝記もひまあれば読んでみたい)、完全否定だったような気がする。
 こうもいってみよう。パウンドのあの強靱な活力は、まさにその身体性から発露されたものだが、その身体とは、ある意味、完璧なまでにアメリカ的身体であった。

 ギンズバーグ「カリフォルニアのスーパーマッケット」
 
翻ってジャパンはどうか?現象としてはまさにアメリカン・サンプリング社会というこができる。だが、こちらでは、多くのひとがその状態を享受しつつも、憎んでもいる。
島国的単一性?抑圧された鎖国社会?的同一性が、そのような感情を産出するのか?
しかし、実際、どうなっているのだろう。社会の断片化は、街を歩けば、一目瞭然である。それはほとんど疑いえない。一方で、強烈な迄の統合化の運動もある。これはちらほらとしか見えないようで、いざ、徒党=集団的主体となると、発露する。そんなジャパニーズコレクティヴィズムは大嫌いなので、単に、敵なのだが、いざ対面すると、ふにゃふにゃだったりする。翻って自分はどうか。自分だってふにゃふにゃだったりする。瞬間、原理主義的な強硬となることもあり、一生懸命、統合化の努力したり、まあ、でも最近は、自己解剖は飽きたので、どうでもいいのだが。無関心についてね。
 バートルビーに向かうことになるのか。
いったい、ぐちゃぐちゃしています。だから、「油田」で、ぬかるむんです。

石油といえばアメリカ。エネルギー。燃料。
どうなることやら。どうにもならねえずら。

燃焼するとき、なにが燃焼しているか?感情エネルギー?脂肪だけが燃えるわけではない。脳は砂糖を必要としているらしい。仕組みは知らん。

むー。やっぱり、嫌悪感から発想しよう。なにが嫌いか?なにがおぞましいのか?
アブジェクシオン。
嫌いなもの。嫌いな人間。嫌いな性格。嫌いな行為。
卑劣なもの。卑怯なもの。コずるいもの。
息苦しいことは、嫌いである。ひといきれは嫌いである。
馬鹿高い値段。「官僚」さんは嫌いです。杓子定規の頭のかたさは嫌いである。
つまり、理解しようとする意志のないもの。つまり、不寛容。
計算高いもの。こずるさ。せこさ。それは「馬鹿」とか「阿呆」とかではない。
「低能」というか。あさはかさというか。それなりというか。
思慮深さに欠けるもの。つまり、忍耐がないもの。忍耐の履き違い。
結局、人間の醜さが嫌いである。
モラリズム、エラスムス、ロシュフーコーニーチェ
矜持。
虚栄心。
結局、このへんも、ぐるぐる廻る。
ゲーム。
ただたんに、勝負があるということ。
どのゲームを選ぶかということだ。
どこで戦うか。どこで遊ぶのか。
どこで時間を潰すのか。
なにをもって幸福とするか。
なにごとも、命がけ、死を賭すこと。
消尽、やりきるということ。


「世界拷問刑罰史」この手の本、趣味で読んでいる人間がいると考えるとぞっとするのが、ああ、とっても残虐である。「人間」、「人道」、「ヒューマニズム」…
しかし、目が覚める思いをするのも事実だ。目をつむるわけにはいかない。オエ。
快楽殺人。
血への欲望?
供儀。最終的に恍惚感に至る。
宗教の命ずる並外れた行為。バタイユ

サディズム
支配欲動。
フロイト「本能とその運命」1915
幻想のなかでの他人への同一化。
死の欲動
「以前の状態への回帰」
「無機物的な絶対的休息への回帰」ラプランシュ/ポンタリスp206

クリステヴァ「斬首の光景」
 残酷さについても、いまいちど。
 苦痛について。