言語の未来は夜、花開く

kairiw2005-01-27

眼精痛でか、疲労が蓄積したのか、舌が腫れたり、ひとに言えないところがつったり、とにかく、からだが、おかしくて、大変だった。肩凝りも、最近はなかったのだが、凝ってる。
 本の整理から来る疲れだったかもしれない。とりあえず、ほとんどかたづいたので、本から、離れよう(笑)。
 本棚は、そのひとの脳を表象するものであると考えることができるが、やはり問題はそのオーダー秩序である。渾沌だろうがアナーキーだろうが、とにかく、自分なりに整理がつかないと、脳がうまく機能しない。部屋の数がないから、こういうことになる。書庫を持てば、こういうこともなくなるのかもしれない。
 ネットサーフィンという言葉を最近は聞かなくなったが、ネットやると、時間がすぐ4時間とか経つ。それでへとへとになる。
 今日はpound関連。しかしアメリカというか英語圏というか、のweb環境はいいな、やっぱり。というか、すごい。詩も読めるし、音楽も聞ける。日本でそういうのも探せばあるのかもしれないが、どうもお粗末だったり、すくなくともグーグルしても、ブログのなかには膨大な言及があるが、hpとなると、どうだろう。ぼくがいいたいのは、たとえばamerican poets academyみたいな、集団による協力体制をきちんととった、総合HPのことだ。日本では、どうしても個人の作業となっている。
 うーん、まだそんな知らないし、調べてもないが、gutenbergprojectみたいなこと、普通に、継続されていないのだろうか?
 ただ、考えてみれば、言語的制約ではある。
 日本語によるグーテンベルクより、英語のだよな、そりゃ。
 しょうがない。
 言語も将来、どうなるか?
 20年後とかでは大して変わっていないかもしれないが、さすがに100年後は、
変わっているだろう。
 ぼくが子供のころは、漫画とかSF映画とかでも、絶望的な、未来の姿とかなんとか、想像されてて、つまり地球は全面戦争で壊滅し、残された人類が、火星で、とかそんなパターンが多く、つい、21世紀には、世界は滅亡するとか、感覚してたもんだ。
 いまはノストラダムス教信者も、さすがになにもいえなくなった、といって、ノストラダムスは、幻視家あるいは詩人としては、たぶん、それなりに重要なひとである。
 しかし考えてみればああいう黙示録的な予言は、多くの神話において観察できるだろう。世界の破局というヴィジョンは、死への恐怖の集合化/社会化?であり、パニック、あるいは恐怖の感情に訴えることによって、民衆をどこかへと導く、その方便。
 今日のアポカリプス。
 
 言語の将来についてだった。ますます英語が、普遍語として、普及するか。
さすがに、どこかで止まるか。日本は現在、日本語を守る方向にあると思う。どこまで意識化されているか分からないが。
 英語はしかし、ますます重要になるだろうし、なってる。
 しかし、ドイツ人は、まったく英語を解さなかったな。アジア人への意地悪かと最初は思って、このナチ野郎!とかって思ったが、あとで聞いたら、ドイツ人は英語が苦手なようらしい。
 アレントがいうように、なにが残った?母語が残った。
 
 母語母語で重要…??
 でもま、日本語なしに、いまの人生を送ることはできない。
 …日本語を普及しようという行為は帝国主義であるのか?
 どこで、普及させるかということだ。
 ヨーロッパからすると、ただの田舎なわけだ。ジャパンは。
 海上さんの、日本はヨーロッパの田舎であるという指摘はつくづく炯眼である。
 いわれてみればなんということはないが、実感すると、深い深い。
 日本語もしかし、ユニークな言語ではあるから、生き残りそうではあるが、どうだろうか。 
 うーん、すべての言語はひとつの言語に…つまり、翻訳は可能なわけだから。
 たとえばパウンドではないが、俳句も漢詩も、プロヴァンス詩も、ポエジーにおいては共通する…
 いいや、このへんはあたりまえ過ぎて、問題ではない。好きなようにポエジーを追求すればいいだけの話し。
 :ブロツキ−:わたしたちとは言語の歴史なのだ…
 言語の政治ということは、思考システムの衝突のことなのだろうか。文明の衝突とは、…
 全世界的なレベルにおいて階級格差はますます拡大している…ハイチ、アフリカ…
 それと、宗教戦争
 経済と宗教:下部構造と思考(信念システム)
 …

…かりに世界が文化的に統合される場合と、多数性を価値化する場合。
 まあでも、今日のように、ぐちゃぐちゃしてて、「暗黒の中世」と変わらないようなところを見ると、まだまだ人類の歴史は長そうだ。
 
 あと2000年とかは、続くのだろう。
 核戦争も、議論はどうなったのだろう。局所的な核戦争は起こり得る。だが、全面的核戦争は起きない。それは、終わりだからだ。ほとんど、それは終わりなんで、それは考えても意味がなくなる。マッドマックスみたいな映画も十分、作られたわけだし…とかいって、実際、みんなどう考えているのか。
 原発とかはさすがに身近だし、チェルノブイリみたいなこともありえる。だから、いつだったか、茨木の原発事故のときは、ひやっとするもんだが、あんまり騒ぐと、パニックになるから、とりあえずおさめられ、また以前の状態。
 風力とか太陽光線とかじゃ、いまの電子世界はそりゃ維持できないよな。
 
 
 まあでもぼくも、ぶろぐでうだうだも、精神衛生上、それなりにいいのだが、そろそろHPを作らなくては。
 
 いずれにせよ、達観的推察も飽きて来た。あとはフェティッシュな作業。かたち、動き、色、音、とかなんとかの作業。
 ちょうど、明日は稽古だ。

 夜の花。
 夜を解放するという悪徳。
 ブランショ「文学空間」

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