その後で、その前で
昨日は、上村なおかさんの「一の百」、桃花村「家族からからか」。
pさん、mさんを誘導し、はしご。m君がいた。
赤布、スピーカー、客席、扉。回転。good 自由度(mさん)
tさんヴィデオくれる。ありがたや。
ランタン、水、石、竿、畳、棒ー柱、…also good 先取
水上生活。水に沈む畳ー床。破片について。
無機的というのでもなく、かといって有機的ともいえない、別の性質の時間。
インポテンツについて。m君のエレクション勃起論。
勃起せよ、と彼は言う。アカデミー政治。
スピリタス、ボンベイ・サファイヤ、アブサン。
ドゥルーズ=土方巽の「部屋」。
てしがわらさんを見逃す過ち。ブーレーズのルネ・シャール。「怒れる職人」。
にぶやさんより。
mさんと。マシュー・バーニー。クラウディア・カルディナーレ、カトリーヌ・ドヌーブ。アラン・ドロンはアルバニア系。バルカン半島。スラブ。
◆pさん宅で打ち合わせ。「ホリゾント」good
アナモルフォーズ。黒子。ルーマニア出身の作曲家。装置もダルドさん。
バルト。
オペラ座の政治。assholeな。
uさんの舞台はお気に召さなかった。
guy klucevsek
ヌアー族への侵略。
…話すということ。白い豚。
感情論、つづき。悪感情の伝播ーコミュニケイト。
絶望とか怒りとか。恐怖も不安もそうだ。それをどれだけ昇華するか。それは克服して、すがすがしくなることではないだろう、たぶん。
たとえば、セリーヌの呪詛について。あの圧倒的なまでのダイレクトな、唾吐き。
ペッペッ。これはつまりは、悪魔払い。浄めたまえー。
この汚れた世界。悪としての世界とは、グノーシス的な世界解釈法。
カソリックがいつグノーシスをヘテロドクシーとして認知し、排斥したか。
それはキリスト教史を調べれば分かることだが、もっと普遍化して考え直すとどうなるか。
悪として世界を認識する思考形式が、社会悪として認知される。悪魔払いをするものが、悪魔として排斥される。
まーた、異端審問、魔女狩りだ。
それは秩序化の権力、というか、秩序化の運動にとって、障害となるからだ。統治のテクノロジーの一環。
美、調和、ハーモニゼーション。
前提的認識における、闘争。
この世は善ナルものか、悪なるものか。
宙づりといっても、行為は無為だといっても、そこにはどんなに小さくとも、判断の過程がある。だれにしても。判断の保留、一時停止、遅延させること。しかしそれもひとつの選択であることからは逃れられない。そうして、自己は不安には耐えられないから、それを正当化する。その後で。
自己というひとつのシステムの運動は、他の自己と衝突し、調和し、また衝突し…
なにを行為するか。その選択における判断のときにおける、ディアローグ。二つの論理のネゴシエーション。
その前で。
生は闘争なしに生として、成立しない。他のものを摂取し、取り込み、いくらかは栄養として、いくらかは糞=排泄物として。
サド1782「司祭と瀕死の男との対話」 意識=良心コンシアンス
1787「ジュスティーヌ」第一稿=「美徳の不幸」
(クロソウスキー/サドpp99-103)
生のドラマトゥルギー。ディアレクテイック。dialecticのdialectとは方言。ローカルな論理と… 方言と方言とでは、コミュニケーションが困難であり…
しかしそれなら、弁証法でいう昇華とは、共通語の成立ということか?
ある意味そうだ、いや、そうなのだ。万人に理解可能な言語…普遍言語、夢としての。
殻としての道徳意識は、意識が自己に課す諸問題の、弁証法的成育の圧力で砕ける。クロソウスキーp100
無垢なものの犠牲に功徳が、罪人に恩恵をほどこすという、功徳転用reversibiliteの原理。
諸聖人は、互いにその徳を伝えあう(communion des saints)、また、信者は、他の信者の善行の功徳を受けることを、レヴェルシビリテという。
20年後、ジョセフ・ド・メーストル「セントペテルスブルク夜話」
サド-メーストル-ボードレール。
ジュスティーヌの不幸=プロヴィデンス(神の摂理)の謎エニグマ
「運命のああした気まぐれは、プロヴィデンスの謎」101
「悪人の栄えは、神の摂理があたしたちに課すひとつの試練にすぎないのだし、それは稲妻のようなもの。ひとを欺くその炎が大気を一瞬明るく燃え上がらせれば、それに目をくらまされた不幸な人は、死の深淵に突き落されるだけ」
「ソドムの市」における倒錯の理論。
悪の定義:罪のなかにあって徳高く、美徳のなかにあって罪深いことの不幸
サドは悪の否認に満足しない。それは隣人が係争に巻き込まれているからだし、隣人が自己egoにとって存在する限り、隣人は自我に神の現存を啓示する 102
悪の観念の清算はいくつかの局面を通り抜け、いくつかの形をとることになる。
リベルタン領主の悪しき意識(うしろめたさ)から生まれた破壊的な神学の形。
無神論的ー唯物論的ーストア派的ー非社会的な(純粋犯罪の理論)自然主義の形。
禁欲アスケーゼ、つまり無感動というアスケーゼの形。