HUMAN/HUWOMANISM

DA・M二日目。風邪も乗り越え、爪にも耐え、万事快調とMくんにいわれ(笑)、とにかく、やってて楽しい舞台である。kさん、wさん、新さん、uさん、sさん、eさん、iさん、sさん、べー、yさん、sさん,Nさん…って、大量のひとの名前、イニシャルにすると、だれがだれか分からなくなるが、タイトルにふさわしい会であると思う。明日は千秋楽。DA・Mさまさまである。やはり、舞台は面白い。

時間の合間を縫って、イタロ・カルヴィーノ「水に流して」再読。
水に流して―カルヴィーノ文学・社会評論集

以前読んだときは、ヴィットリーニの存在を認識していなかったので、読み飛ばしていたが、
ヴィットリーニ 投企と文学」が、なんともすばらしく、感動した。要約することはおろか、ノート化も憚れるような、美しい追悼文である。この種の文でいえば、レヴィ=ストロースデュメジル追悼文が想起される。身近にいたひとしか書けないような深い愛情に包まれていながら、なおかつ的確に客観的に分析して、新しい視点を出すということ。とくにこのカルヴィーノの文の場合、相手がヴィットリーニであったがゆえ、なおさら懐かしい「人間味」がある。ヒューマニティ。
 「人間」ということについて以前も書いたが、他にも、ジョルジョ・ストレーレルストレーレルは語る―ミラノ・ピッコロ・テアトロからヨーロッパ劇場へ

が、「私は人間に興味があるのです」といっていた。
ルネサンス以来のヒューマニズム人間主義人文主義…正確に翻訳するとなると、どうなるのだろうか)の伝統。

oさんも、ヒューマニストである。
rくんのいう人間主義はフランス・ルネサンスである。