セール「両性具有」:彫刻

ミシェル・セール「両性具有」法政大学出版局
図書館で借りて、昨晩、一気に読む。大変示唆深い本。もうこれだと、購入するしかない。ちなみにこの本は図書館で保存書庫に入っていた。公共図書館の基準知らないが、借りられない本は、お蔵入り、みたいな気もする。それってどうなのかと思うが、公共図書館にはずいぶんこれまでお世話になってるのであまり文句をいいたくはない。といっても区民税は払ってるからw、いうべきことはいうべきなんだろうが。
 バルザックの「サラジーヌ」も、さすがにすさまじい技術である。あの「人間喜劇」の量を考えると、よくこんな繊細なところまで眼が行くもんだと思う。幸い、近くの図書館にバルザック全集がある。いまのうちに読んでおこうかな。まあ無理だろうが。
 バルトの「s/z」は、実家にあったのに、こっちへ送りそこねた。「サラジーヌ」ではなく「絶対の探究」でやろうとしていたこともあったからだが、やはり迂闊。
 セールの「サラジーヌ」論は、いきなり批評とはなにかという切り口で、?と、面喰らう。「サラジーヌ」は初めから終わりまで美学と芸術作品についての批評的分析であるとのこと。境界、オリエンテーション方向決定、彫刻と音楽、…彫刻によって、身体が対象となり、そしてその対象が今度は死を媒介にして身体となる。
 …彫刻か。傷をつけて遊ぶ子供、サラジーヌ。
  レッシング「ラオコーン」も頓挫したままだった。
セール、重要な知見がぎっしり詰め込まれていて、またそれが畳み掛けるもんだから、ノート化は大変である。


そういえば、バルザック全集にサラジーヌが入っていなかった。そんなはずがないと何度も一巻ずつ見たが、ない。あるいは訳題が異なるのか。バルザックファンの方々は、バルザックの文庫が入手しにくい、つまり本来はもっと文庫化されていいはずなのにと嘆いている。つまりドストエフスキーくらい読まれてもいいのに、そうはなっていないと。たしかにバルザックなんて、すべて文庫化されていいはずだ。