イデオロギー基礎論としての判断論

 イデオロギーがなんであるかとかいうのも、結局は判断・決定・断罪する前に、どのデータ与件に基づくのかというところに尽きる。いかに判断するか。
 価値判断論。
プログラムとして。イデオロギー基礎論として。

・カント
ニーチェマルクスの価値論
ブルデューの「ディスタンクシオン:社会的判断力批判」。 

しかしこのプラグラム、いままでも通過していたのに、結局、なんやかやで頓挫したままだった。性格はせっかちなのはもう生まれつきだが。…どうせすぐに、そうはいっても、「いかにhow」でなく「なにwhat」を判断するかの内容論・対象論になるんだろうが。まそれは当たり前か。