18c一般史:革命

リンクともトラックバックともいうのかいまだ分かってないのだが、とまれシュトルム・ウント・ドランクで辿ってこられた方もいる。http://d.hatena.ne.jp/kairiw/20041205で、アヴァンギャルド、…ルネサンス…つまり、「伝統」なるものが、(舞台)芸術の領域にあっては、日本のようなあり方とヨーロッパとでは全くといっていいほど、異なる云々との話しであった。
 これを変奏するとなると、なんにしてもヨーロッパには、キリスト教の教義オーソドクシーが厳然とあって、まずはそこから考えなおさないといけないわけだ。
 あるいは、上記のような芸術運動史にあっても、当然、領域内オーソドクシー/ヘテロドクシーの折衝・興亡がある。つまり「時代と寝る」のか、「寝ない」のかという、コンテクスト=時代=支配勢力との力学?…
 この間、バルザックを始点として、18c-19cの一般的な歴史を繙いている。正月に購入した「クロニック世界全史」講談社。高校のとき、失敗して日本史を選択したのでw、世界史については、本当に基本的なところしか知らない。「勉強」が嫌いだったころ、普段は授業中は寝てるか夢想してるかだったのでw、たとえばフランス革命についても、試験前日にばーと通読するしかしてなかったので、よく分かっていなかった。
 ま啓蒙主義がそれを準備したとかそういう思想/イデオロギー関連だと、一般史よりもまだ分かっていたのだが、ナポレオンが実際にどれほどのひとだったかについては、適当にしか知らなかった。

1751 「百科全書」第一巻刊行
1756  プロイセンのフリードリヒ2世、ザクセン侵攻。七年戦争勃発。
1762 グルック、オペラ「オルフェオとエウリディーチェ」上演
   ルソー「社会契約論」「エミール」出版。逮捕状が出る。
   七年戦争終結プロイセン勝利。
(1766清朝に仕えたイタリアの画家カスティリオーネ
1768 ロシア・トルコ戦争。フランス外交失敗。
 <18c宮廷社会/ロココ様式> フラゴナール、シノアズリ、マイセン陶器、ブーシェ
1771  カントとハーマンの弟子、ヘルダー「言語起源論」
1773 ヘルダー「ドイツの特性と芸術について」→シュトルムウントドランク運動の理論
1775  アメリカ独立戦争
 <蒸気、石炭、鉄>
1776 アダム・スミス「諸国民の富」 経済への国家の干渉を批判。自由主義経済学
1777 ヴォルテール
1781 イギリス軍、アメリカに降伏。カント「純粋理性批判」出版
1783 ボーマルシェフィガロの結婚
   小ピット、24歳でイギリス首相→以後17年間政権維持。国王から自立した近代的内閣制度。
1785マリー・アントワネット首飾り事件
1788カント「実践理性批判
1789 フランス革命。→全国三部会。テニスコートの誓い/国民議会。バスティーユ牢獄襲撃。
1790 エドムンド・バーク革命批判。ブレイク「無垢の歌」。カント「判断力批判
1791 立憲王政を定めた憲法モーツァルト没。サド「ジュスティーヌあるいは美徳の不幸」
1792 チュイルリー宮襲撃。王政廃止。フランス、プロイセンに勝利。
1793 ルイ16世処刑。革命体制への農民叛乱@ヴァンデ。
1794 プレリアル法。大恐怖政治。ダントン処刑。「最高存在」の祭典。
   テルミドール10日(7/28)、ロベスピエール処刑。
1795 総裁政府。
1796  ナポレオン
1799  ナポレオン、クーデターに成功。ブリュメール18日。
    ゴヤ(1746-1828)
1802 ナポレオン終身統領。
1804 ナポレオン皇帝

18c後半。「戦争」よりも「革命」の時代。「革命」の伝播による植民地独立運動
ま、とにかくいくらでもほじくりだすことができるわけだ。フランスは19cに入って、七月革命、ニ月革命へと展開していく。
 シュトルムウントドランクで、リンクがあり、そうして私もヘルダーについて情報を得ていたというシンクロ。
 グレース・エリオットの日記に基づいたエリック・ロメールは「グレースと公爵」という非常に美しくも骨太な映画を撮ったが、そのインタビューのなかで、「良き民衆」と「暴徒」とは区別するべき旨、発言している(ユリイカ2002,11月号)。フランス革命とは、「民衆」のある種の部分と同盟を結んだブルジョワの運動であった、と。
 1793年のヴァンデの農民叛乱については調べてみたい。「いったい、なんの権利があって『国家』はおれたちを兵隊にひっぱろうというのか」とはヴァンデ軍の一農民の発言。
 ミシュレの「民衆」、ドゥルーズガタリの「来るべき民衆」…民の声vox populi…

柄谷行人さんもどこかの雑誌で「革命と反復」を書いていた。読まないと。