トラジコメディ

岩淵先生よりメールを頂いて、ちょっとミュラーパゾリーニについて。


「…ミュラ−とパゾリーニとでは、岩淵先生を前に発言するのも恥ずかしいのですが、ミュラーがたしかアレゴリーの手法を批判していたのに対して、パゾリーニは、ボッカチオらのアレゴリーを手法としています。
そうしてアレゴリーといえば、岩淵先生たちが紹介してくださったかのブレヒトの手法です
(ちがいますでしょうか?)。
パゾリーニがどのようにブレヒトを受け止めたのかは分かりませんが、もしかしてパゾリーニアレゴリーの手法を選んだとき、念頭にあったのはブレヒトかもしれません。
手法においては、もしかするとパゾリーニの方がブレヒトに近くて、ミュラーはむしろ
アルトーのメタファー(でもこれもよく分かりませんが)の手法に近いのかもしれません。
でも手法の差異はともあれ、敵は資本主義でありファシスムであり、それに対してどのように、今後、対処していけばよいのか、舞台芸術がそれとどのように関係していけばよいのか、その役割とはなんなのか、ミュラーと同様、パゾリーニは深く私に問いをつきつけてくれました。同時に、勇気も与えてもらいました。
舞台芸術の世界もますます資本主義の原理が浸透していて、結局、メインストリームは「保守」なのですね。
私も今後、どこまで続けることができるかどうか分かりませんが、力の及ぶかぎり、先達に恥じることなく、私なりの「抵抗」を続けていきたいとおもっております。」

パゾリーニブレヒトを当然知っていたし(「あの古きよきブレヒトの民衆」とインタヴューでいっていた)、バルトを深く読んでもいる(ヴィットリーニ関連で、実際に交流があったかもしれない)。
 パゾリーニは一時、演劇にはまり、今後、小説は書かないといって、戯曲をたてつづけに発表していたこともあった。「コロック」としての舞台という場所を気に入ったようだ。

トラジコメディ。

ああ。これで、ギヨタさんともつながった。
ギヨタさんを二日追っかけて、衝撃を受けて、そのせいでブログどころではなかったこの数日。
17世紀のトラジコメディ。コルネイユモリエール。へのギヨタさんの帰属。
ジュネは監獄でラシーヌコルネイユばかり読んでいたとは有名だ。それしか読めなかったからというすさまじくも激烈にして幸福?な読書体験。
ラシーヌはまだぴんとは来ていないのだが(どうも「コメディ」が読み取りにくい)、モリエールコルネイユは私も大好きざます。カルデロンもスキざます。

いつかちゃんと原文で読みつつ、素材として扱いたいざます。というか演劇勉強してwストレートプレイで上演したいざます。