2-5 意図を超えてw

私はbの書き込みを「揚げ足取り」であるといった。それは私のコンテキストを無視しているようにも読めるからだ。それはこうも読める。
 私は現在、アメリカおよび資本主義社会内に生きる「資本主義者」として、リバタリアニズムについて知見を広め始めたつまり学習をはじめた。その文脈のなかで、自分の生活圏に近しいレベルへと派生させていき、税金問題について触れた。そして「選択できる」という部分表現に対して、Bはあたかもそれがリバタリアニズム的な表現であり、さらにあたかも私がリバタリアンであるかのような応答をした。bの意図はともあれ、私にはそのように読み取れた。それゆえ、私は、そのラベリング的な応答に対して、すこし不快感を覚えた。
またbは次の項目、「自由」という問題についてもそのように読めるコメントを記入した。
これが私の「誤解」であるなら、問題はいくらか減少する。でもすでに私の問題化はbの意図を超えていて、より一般的な問題へと接続しはじめている。
 
bは批判しようとしたのかもしれない。なら、それならそれで明示してほしい。そうでなければ、このように長くなるw 
そうして、上記、bのコメントに潜在するかのように思われる批判的な契機に対して、応答したわけだ。
 そうして、あまりに長く、回り道をしているが、bは急進主義ではあるが、実践的ではないがゆえ、唯物論的ではない、ということだ。これは以前別の場所でやりあったことの反復であるw