2-4 ウェブログの公共空間と、その規則

 で私が私のやり方をどう見なすかについては、このブログでの「学習」はあるひとからすれば「スノッブ」のように見えるだろう。しかしスノッブとは、知識披露による虚栄心の充足のことである。しかし私はそのように文体を構成していはいない。もし私が虚栄心を充足させることを、目的とするのなら、もっとしゃれた言い方をする。もっと格好のいい文体を選択する。私は、分らないことに対して、分らないといい、新しい知識が入力されることで、納得がいけば、なるほどと書く。それはつまり自分の日々の認識のありかたを確認しているだけのことだ。それは捨て身でありまた恥さらしでもあるがもはやこうでもしなけりゃ、認識を新しくしていくことが難しい。私はあまりに混迷してきたし、いまも混迷しているから。
それゆえ、このブログはメモ=備忘録にすぎない。しかしまたブログはウェブ上に公表されることで、不特定多数のウェブ観察者(これをウォッチャーといっているのだろうか?)が読むことができるという、「機能」を持っている。それゆえ、たとえそれが自己規定として「メモ」だとしても、場合によっては、つまりあるひとにとっては、政治的なメッセージともなる。この自己規定を裏切る、意図せざる「発信」について、どのような「責任」がとれるだろうか?
 それはもう、個々に「申し開き」をしていくしかない。具体的にはコメントへの応答である。そして、それ以外には、おそらくブログの「責任」の取り方はないのだから、もしそれができないのであれば、ブログを閉鎖するしかない。
 ウェブもまた公共空間であるということ。それは理念的な意味ではない。むしろ、実態がそうであるがゆえ、つまり第三者に公開されているがゆえ、そのようにいう。
 で、公共空間は、構成員相互に了解される規則が必要である。
 あるブログが、「私的な備忘録」と自己規定しているとして、そこへ第三者がコメントを記入する。そのとき、コメント記入の規則としてはどのようなものがあるか?
 非難・中傷・罵倒は、それも匿名によるものは、いわゆる「荒らし」であり、卑劣な攻撃にすぎない。ゆえにそれは削除する権利を、ブログ設営者は持っている。
 またその匿名ということに関しては、非対称的な暴力である(とても小さいものだが、というか小さすぎるが)。つまり、公平ではない。
 で、問題はbの書き込みが、そのような規則を侵犯しているかいないのかであるw。