3-1.「自由」基礎論

「選択の自由」とか「リバタリアニズム」批判というのは、性急にできることではないし。そもそもわたしの領分でもない。私は、現在、私なりに、「自由」について考え直したいだけです。その意味では「リバタリアニズム」批判は、下位問題である。

まあ私は、「資本主義者の自由」を肯定したくて、こんな時間を使って、うだうだやってるわけじゃない。ただ、「自由」は私にとって、やはり重要な言葉=問題であるということ。これまでまじめに「自由」について考えてこなかったから、対面したいということ。
 私は自分で納得するまではうだうだは止めないwので、本当に「自由」がたんに「耳ざわりのいい言葉」にすぎないのかどかうは見定めたい。
 むろん、方便として、「自由」の観念が、イデオロギー的に、つまり現行体制の正当化に利用されているのは、事実であろう。しかしそれは応用問題である。
 私は応用問題としてでなく、基礎論的に、「自由」について関心を持っている。