3-2 最後の問題:今日のコミュニズム

 結論は、bの問題提起は、私にとって、甘く感じられるし、また、おそらくはbは自己を唯物論者として自己規定しているようであるが、それならなぜ、次のことを考えないのか?
 今日、唯物論、もっと直接にいって、マルクス主義を標榜するのか、しないのか?
 マルクス主義者であるなら、反共主義者の批判に対して、どのように応答するのか?
 つまり、スターリン主義の問題は、やはり露骨につまり歴史的事実としてあるし、無化することはできない。
 そしてこれは、資本主義へと抵抗するうえで私がなぜマルクス主義を標榜しないかについての話しでもあるが、10数年前、マルクス主義の洗礼を受けながら学習をしていたとき、やはりどうしてもひっかかったのが、プロレタリアート独裁のプログラムである。
 これについて私は納得できなかった。つまりスターリニズム批判へ反批判する根拠を見出せなかった。いまでも見出せない。つまり、スタリーン主義の問題とは、もろもろあるとしても、とりわけ「粛正」について、あれをなかった=無化することはできなかったし、いまもできない。
 
 20世紀におけるソビエト国家の歴史的実験について、いかに考えればよいか?これももはや手に負えない巨大な問題である。
 
 しかし私はだからといって、共産主義が過去の遺物となったとは思っていない。別の仕方で再編成することが必要だといっているのだ。