4-1 イデオロギー闘争の図式について
で、かなりヤバイとこを回り道したが、リバタリアニムについて私がいかに批判するか?これについてはすでに書いた。資本主義が「最善」であるとする根拠をこそ、論じるべきである。
bはリバタリアニズム/コミュニタリズムの図式の不毛性を指摘した。しかしbのよしとする右/左すらも、私はどうかと思う。それは対立する思想体系があり、陣地がふたつあるとの見方だ。ふたつの異なるイデオロギー体系。しかしイデオロギー闘争は双方とも教条主義に陥る。やはりここはカント的な批判哲学の伝統しかないのではないか?この意味で、マルクスもウェーバーも、そしておそらくはリバタリアニズムのなかにも、批判哲学者の系譜は息づいている。
私はラッセルもマルクスも好きであるが、イデオロギー闘争の図式、引いてはその教条主義に縛られると、そのどちらかしか選べなくなる(しかしこれもまた「選択の自由」)。
私は、さしあたっては、自分の関与するミクロな領域で、分子的に闘争=批判を続けて行くしかないと思う。そうしてこの分子的な戦略は、急進主義は選べない。漸進主義のみである。「漸進」は「前進」ではない。