1-1.「選択の自由」について

「選択の自由」が、純粋なあるいは抽象的な観念であるはずがなく、それは社会関係・支配関係を前提にする
ことは、もう忘れたけど、以前「価格理論とその応用」の読書会やってた時に出てた話と同じだ。なんだったっけ、合理的期待形成学派?あマネタリズムって、フリードマンだね、「選択の自由」。(しかもその息子のデイヴィッド・フリードマンが「自由のためのメカニズム」頸草書房を書いてる。)
効用とかにしても「均衡」にしても、それが社会より自律した独自のシステムを持ってるとしても、それが機能する場所は、社会的政治的な場所である。そうしたリアル・具体的な、あるいはプラティックな次元をネグレクトしたうえでの抽象主義という批判があった。つまりそれはだれの効用か?どの場所での「均衡」なのか?近代経済学の前提する個人というか経済的行為の主体像については議論も多くされたのでしょうが、まあいまでも同じ話が続いているわけだ。
で、それはそれでいい、というか、私は「選択の自由」とか方法論的個人主義を問題化したわけではない。bは誤読というか、揚げ足取りが大好きだから、絡んだんだろう。というか、わたしのコンテキスト、bには理解できないみたいね、あいかわらず。

私は あくまで、税金問題という個別のフィールドのなかで、消費税は、相対的に、「公正」に思われると、いったんです。「選択できるから」といったのは、商品を買うときに、買わないことも選択できるからです。とりあえずの話しとして。その消費行為が、国際経済的に見て、第三世界の搾取を前提としたうえで「享受」されている、という話しは、また別の話しです。
国内問題と国際問題との、とりあえずの区分。というかま、そんな話しでもなく、これはbのコンテキスト読解力の問題だ。(いやま、逆にいうと、そうした国際経済レベルを忘れてはならないというのはまったくもって納得がいく。ただ、それならそれで明示してくれないと、以下のような疑念を生じさせることとなる。)

そうした私のコンテキストを汲んでもらえたうえで、税金でも消費税でもいいんだけど、それについて、批判的な考えをお持ちでしたら、その旨、お知らせください。

もしbが消費税が、不公正であると考えるのなら、ぜひ聞きたい。あるいは、消費税に限らず、税金システムはすべて正しいと考えるのなら、その根拠を知りたい。
 すくなくとも、bの税金についての考えを、これまで数年間、一度も聞いたことがないので。もしかしたら、考えることもないのかな、とも疑われる。