シャッフル/フォーカシング

10分位眠っただろうか、眼が覚めてしまった。疲労がある程度たまると、こうなることがある。まあ、まだ問題ないが。
整理を少しして、バーリン。飛ばし読み。意志+構築主義、か。

「アジア」体勢。インドネシア関連。

本棚整理が面白くって、やりだすと止まらなくなるのは、本がシャッフルされることで、忘れていた本とか、読んでない本とか、むかし買った本とかと、出会えることだ。以前は、この悦楽に、中毒になっていて、延々シャッフルばかり繰り返して、時間を浪費していたものだった。最近はずいぶん落着いて来た。
まあいまある程度、禁読中だからというのもあるが。
それで、メルロ=ポンティの「知覚の現象学」と再会。パラパラ見ると、やはり重要である。夜の空間性とか、現前とか。
 しかしまあぶ厚いこと。訳者後書きまで入れると、862頁。法大出版版。辞書を除くと、一番厚い気がする。
 でもなあこの本ノート化していったらどうなるんだろう。まあする義務はないが。まあ基礎論ではあるんだが、しかしまた一方でやはりあえて避ける方がいいような気もする。しかしまたきちんと読むと、もっとダンスについてうまく説明できるようになるかもしれないとも思う。

一方で、アジア舞踊人類学とかもぱら見すると、やっぱり宇宙かあとかも思う。

他方、ゴダール全集を、頁比較のために触ったついでになかを覗くと、ぞくぞくする。と同時に自分の迂回の仕方に腹が立つ。
 というか冷静に考えれば、予定のいれすぎだったんだ。
 そうはいっても、実践あるいは期日に追われることも、大変であるといえ、ある一定の平衡感覚を保ってもくれる。予定がないのはないで、暗澹たる妄想に襲われるのだから。「活動」は、仕方ないのだ。
 時間が無限であることは、やはり錯覚であり幻想にすぎない。
 トライアルアンドエラー、再び。
 とはいえ、フォーカシングは必要だ。

 それにしても、人生は、読書するには短すぎる。