CLASS SOCIETY

インドネシア関連の本を読んでいると書いた。なんのことはない。「地球の歩き方」である。旅行するとき、この手の案内書をどの程度まで読むかは微妙な問題にもなる。
現地にいって、結局、ガンガン、読む。そうすると、その情報で、お腹一杯になる。
 他方、一切、ガイドブック読まないというのもある。しかし、私はそれを選ぶことはまずしない。やはり情報は必要なんだ。

 で、よく勉強になるし、この手のガイドブックにはこれまでも何冊もお世話になっているので、あまりこういうこと書きたくはなかったのだが、どうしても、小骨がひっかったような感じがして、嫌なので、吐き出そう。
 
 問題としたいページは、497ページの「知っておきたいマナーと習慣」のなかの「階級社会」の項目。

 「日本にはなくて外国にあって、日本人に理解しづらいのが、階級社会。…」
全文引用するべきか。
 
 まず、断固として、日本には、階級間格差は社会的に実在する。
 それにしても、これ、なんで、みんないうんだろう。
 「日本には階級がない」なんてさあ。
 平等主義イデオロギーだとかもう、いくつものイデオロギーが複合してる。
で、そんなことより、なぜここまで浸透してんのか。
 ニッポンの自意識ってやつか?
 ファック!!

 まあここじっくりやっていこう。

 インドネシアが階級社会であるという点。
 これについては直接はまだ知らないので、他の比較素材を出せば、インドのカースト社会がある。
 デュモン。
 それでまあ、南アジア、東南アジア社会においていかに近代化が展開したかについてはまた膨大にやることが出てきてしまうのだが、とりあえず、「階級社会」と「身分社会」との混合形態というか、…まあ、アジアにおける近代化の問題だな、やっぱり、大変である。
 
 「階級社会」はやはりヨーロッパ社会、というか近代市民革命?をそのコンテクストとしている。

 ざっと飛ばすが、たとえば日本において、市民革命はなかったのだから、日本は近世以来の身分社会である、というがいい。
 明治に入り、名目を変えて、身分社会は再編成されたが、また、身分社会との生命を賭けた被抑圧者による闘争の歴史もあったし、あるのだが、根幹においては、変わらない。
 いや違う。強いていえば、戦後のアメリカによる日本社会編成が、いうなれば「革命」だった。「変革」か。
 
 うー。ボロボロ出てくるなあ。

 そんな論証せんといかんのか?

 日本に階級社会がなくてインドネシアにあるというアホ発言に対して。

 いや、それは必要だ。

 結局、ガイドブックからどうしても払拭しきれないモードが、そうした隠れたモードなんだ。
 インドネシア社会に対しては、先進国=擬似近代的な視点、つまり優越意識が感じられるし、他方、たとえばドイツのガイドッブックには、どこまでいってもアホズラしたロマンティック街道ステキ!!というラブリーな憧れモード。劣等意識。
 
 じゃ、読むなって?いや、そりゃ必要な情報があるから、読むよ。
 
 ガイドッブックそれ自体をたたくというか、そこに織り込まれている集合的な意識=イデオロギーに対するマイナーイデオロギーによる階級闘争なんです。

 トゥアリズムとか。

 しかし旅行を否定するわけではないのだから、今度いくのだから、まあ「旅行」でなはないとしても、旅行的に観光はするわけだから、あー違う。
 
 私の混乱・矛盾・未整理の問題ではない。

 ある視点に対する批判ということ。
 中断。