塩谷賛「幸田露伴」

中公文庫。上、中、下1、下2の全四巻。
どこの古書店だったか忘れたが、ゾッキ本棚のなかに上巻と中巻だけがあり、しかも100円とかだったかと思うが、もちろん買った。
 たしかその時には、露伴ブームが自分のなかで去ったあとだったので、結局まだ読んでいなかった。
 それで、さっき手にした。
 自序を読む。あらためて著者が、失明という苦難に負けず、この大冊を作り上げたことに関して、感動せざるをえない。
 露伴の墓にもかつて遊びにいったことがある。池上本門寺のなかにある。力動山の墓もあった。
 露伴の墓は、つつましく、ひっそりと、しかし清潔な感じがしたものだった。
 名前をいまは調べる余裕がないが、なくなった長男さんと、幸田文さんの墓と並んでいた。
 もう随分前のことだ。白い猫がいた。
 これも覚束ないことなのだが、正門を起点として、左側の丘の麓には、赤い宝物殿のような建物が、墓地のなかにあった。たしか、山崎闇斎とかの墓もあった気がする。違ったかもしれない。とにかく江戸時代の学者の誰かのものだ。さらに覚束ない記憶を辿ると、石川淳が、そこへ訪れた際の写真も、どこかで見た記憶がある。
 一時、墓散策をやっていたことがあった。20位の頃だ。青山墓地とか雑司ヶ谷墓地とかを回った。斎藤茂吉永井荷風泉鏡花夏目漱石とかの墓を見た記憶がある。遠山満の墓も青山にあった気がする。
 ひとりで、喪の作業をやっていたのかもしれない。失われていく時間、時代に対して。
 そうして、これは趣味と呼んでいいような行動だったかもしれないが、さりとて、趣味ではなかった。
なにかひどく個人的な行動だったのだ。だから、誰にも言わなかったし、またいっても、理解されないように感じていた。また、こうした行動のコードが、サライ的なモードとして受け取られることも嫌だった。
 そもそも他人の墓に行くということは、すぐれて個人的な行動であろう。
 墓という場所自体、通常は、親族や近しい人でないといかないものだ。
 むろん、作家の墓に行くという行動は、ファンとしての行動でもある。

また余計な枝へと渡っている。悪い癖だが、しかしそれが自分の気質なのだから、しかたない。

 それで、露伴であった。というより、塩谷賛の本のことであった。
 この本はいまは絶版で、ネットで見ると、8000円の値段がついていたりもしている。一冊2000円という。
 復刊リクエストにもあがっているが、まだ11票である。この復刊コムのシステムはたしか100票入ると、出版社に申し出るというものだった。
 考えてみれば、たかだか100人であるから、その気になれば、すぐに集めることもできるのだろう。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=8070

 この文庫は昭和52年に出版されている。