別のコンテクスト:歴史、修正主義、事実性


ものみなすべてにコンテクストがある。歴史といってもいい。

 このことに関してふっと思ったのが、歴史修正主義批判についてである。「それは修正主義だから、ダメだ」とは、批判にならないと思う。いや、もろん、ジャーゴンとしての「修正主義」は分かるし、また、各国におけるいわゆる「修正主義」は最悪だとも思う。


 だが、歴史は、作られるものだ。解釈によって。


 大森荘蔵さんが晩年、過去創作論みたいなことを論じていたと記憶するが、事態は、個人史においても同様である。
 
むろん、そこには、ある決定的な「事実性」があり、その事実性が、個人の経験や社会の歴史のなかでの特異な点となり、それによって、運動していくということがある。

 戻ると、修正主義に対しては、別の歴史を語っていくしかないということだ。 

 別のコンテクスト。