倫理の理念、形象

 では、どのような対策がありうるのか。すでに書いたことだが、それは、パニックに陥らないこと、ただそれだけだ。
 
 群集心理の波に乗らないこと。
 しかしこれまた、絶望的な課題でもある。

 それよりむしろ、そうした群集心理を、超えるもの、つまりイデア/理念が、必要であるだろう。
 それがつまりは、正義とはなにかでもあるし、あるいはそれは政治哲学的な正義概念の検討よりも、むしろ寓話的あるいは説話的な、エピソード?=挿話が、求められるように思われる。概念ではなく、ひとつの「形象」としての。

 関東大震災のこの種のグロ映像=イマージュは、たしかに衝撃的で、「教育的トラウマ」を形成するものでもあろうが、しかしむしろそれゆえ、広く知られてもいいだろう。80年前のこととはいえ、「地震教育」ということでも、必要だ。しかしまた考えてみれば、原爆教育も、長崎や広島以外でどれほど行われているだろうか。ここにも、むろんあの南京大虐殺のことも入ってくるだろうか。