七つの大罪と新しい悪徳・怒り

http://d.hatena.ne.jp/kairiw/20050330#p2のウンベルト・ガリンベルティを読んでいる。
序文より。
マンデヴィル「蜂の寓話The fable of Bees:Private vices,public benefits.」では、「悪」こそが、われわれに社会性を与え、あらゆる取引の基盤を作り、それを生かし支持していくとともに、また例外なくすべての職業を生み出す偉大な原理なのである。と書かれてているという。

 「七つの大罪」について、なんとなくはじめて言及されるのは、アリストテレスの「悪の衣」論。悪徳は、美徳と同じく反復される行為によって生み出され、衣のように、ひとびとをある方向に仕向ける第二の本性のようなものを生み出す。

 トマス・アクィナス神学大全」において悪徳は、悪い習慣によって身についた衣ではなく、神の意思に背く人間の意志の表明として解釈された。

 啓蒙の時代には、悪徳と美徳の差異はその重要さを失う。なぜなら悪徳は美徳と同様、経済の発展に貢献するようになるからである。

 カント「人間学」「人倫の形而上学」では、悪徳のなかに人間の類型表現(「性格学」)を読み取ろうとする。

 カント「人間学」は19世紀精神医学にとっての基本文献となった。グリージンガー、ヴェルニケ、クレペリンフロイトにおいては、悪徳は、「類型」表現ではなく、「精神病理」的な兆候となる。


目次

I.七つの大罪
1.憤怒
2.怠惰
3.羨望
4.高慢
5.吝嗇
6.貪食 
7.邪淫

II.新しい悪徳
1.消費文化
2.体制順応
3.慎みのなさ
4.性の氾濫
5.非社会性
6.現実否認
7.虚無感


それぞれコンパクトにまとめられている。しかしまあ、新書でいいような感じでもある。

憤怒の項目では、正確に怒ることはだれにもできることではないというアリストテレス(二コマコス倫理学2-9、1109a)に、ニーチェの、

 「だれもが知性とは妥協的なもの、正しいもの、良いもの、つまり衝動とは対極にあるものと思っているが、実はそれはさまざまな衝動が互いの間に結んでいる関係にすぎないのである」「悦ばしき知識」4-333


  という言葉をかける。

 女性の怒りと男性の怒りに対する認識の違いについて。女の怒りは「ヒステリー」とか「じゃじゃ馬」とかいう言い方で名指される。男の怒りはその正当性を認められやすい。

 双方の怒り方における戦略の相違について。(男は身体的に。女は別の手で。)

 つまり、これらは力関係の状況の差異を示している。
 
 ことは階級関係でも同様。

 怒る必要のない金持ち、権力者によれば、憤怒は幼稚で弱い感情である。
 被抑圧者の怒りは禁じられている。

なるほど「怒り」についてあまり論じられるのも少ないような気がする。 


とりわけ怒りと階級という視点については、もっと展開させたいところでもある。