リンボ・バラッド

なんかもう大変なんだな。日曜は、大倉山で合田先生の講話会。かなり久しぶりに行った。あいかわらす高密度な読み込みをなさる。というか、「病める舞姫」をここまで解読できるひとは、合田先生をおいてほかにいない。
 高密度、と書いたが、そのうち大部分は、漫談調である。それがまたすごい。
いかに死ぬか、の話をされる。以前より、すこしやつれた感もある。大野先生もそうだが、やっぱり逝かないでほしい。
 

そのあと夜中の稽古。神谷町に古典的な中華料理(定食屋)を発見。出るとまもなく、雨が降ってくる。と思うまもなく、どしゃ降り。こういうとき、携帯がほんとうに困る。前に、買って一週間でトイレに携帯電話を落としてからというもの、絶対に、すくなくとも二年間は、壊すまい、と思っている。携帯は、濡らすとアウトなので、絶対に濡れないようにしたいのだが、ここまで降られると、動こうにも動けない。
 …yちゃんより、阿佐ヶ谷の浸水の画像を見せてもらう。おお。

長崎の雨が、思い出される。佐世保では雨が、横に降っていたこともあった。あの時の嵐は、雷は鳴るわ、本来、縦か、斜めに降る雨が、横に降っているわ、つまり風の轟音もすごいわ、稲妻がずっと光ることで、より「嵐」の演出ぶりが、凝ったものだった。というか、さすがに、少し怖くもあった。そういえば、ジョイスは、雷をすいぶん怖がっていた。
 瓦が窓を破って飛んできて、ntに当たりそうにもなったことも、左底の下宿であった。その現場にはいなかったが。

稽古では、そうとう、追いつめられている。ああ。

aとも大喧嘩。もうね、わたしゃ、人種が違うのですから。分からないものは、分からない。強制入院させられる前に、病院に行くことは絶対にしませんよ。なにが「狂気」か、その線引きは、すくなくとも、私の狂気に関する限り、自分で決定したい。「近代」なぞ、ひとつの地方にすぎないじゃろう。私は、別の地方にいるだけだ。殺すなら、勝手に殺せ。

 マルーン。逃亡奴隷に、なること。

エイヤー/ラッセルの、構成と分析とが逆であるということはたしかに正確な指摘であろう。私は、じつに、「分析的」なのだ。ほじくる。ほじくり返す。

 なんかなあ、しかし、改訂の作業は、難しい。編集とも違う作業だ。まったくゼロから立ち上げること、の方が、今回に限っては、正しいのかもしれない。

 構成原理を変更するわけだから、そうして、自分なりの構成原理を探していくわけだから、そうして、それがなんであるかまだ分かっていないのだから、いろいろ再帰的に確認したりで、感情の衝突すらなんとかなれば、一歩一歩ずれていってはいるのだから、無駄ではない。
 
 構成と構造も違う、とか。

それで、先日、pcが壊れたので、ibookG4を購入。
いくつか、データも失われたが、まあ、所詮は、pc、家電なんだもんな。