構造と主体

むろんこのインドネシアでの上演が、念頭にあるものだから、「油田II」の作業へ集中できないこともあった。
でも本当の理由は、むしろ、方法論の次元でのものだった。

それにしても、まだまだ、ヤバイ。
「油田I」は、ある意味では、完成されている。隙入る余地があるようで、ない。批判的に作り直すとなると、もうすべて捨てた方がいいくらいである。神楽坂の空間との親和性は、まったく、再現できない。
 こんなことになるとは思ってもいなかった。再演だからすこしは楽だろうと予想したのは、大間違いであった。
ひとつを変えると、もうすべてが変わっていく。これは時間系の問題だ。シーケンス、構成の問題。
 昨日、確認した三つの問題。
 1。空間系の問題。含セノグラフィー。
 2。振付の検討。
 3。構造のヴァージョン。「主体」(語り手?)の導入。あ、構造と主体、だ。

1も大変。狭さ/広さ。それに、セノグラフィーが変更されるということは、もう別のものになる。
2も大変。これはほんとうに、時間を食う。
3。これがどうなるか次第で、「油田II」は決定される。

「油田I」で潜在させたもの。まあ、どうするか。


そもそも、歴史を、複数化したいということが、「油田」の根本主題である。こんな大問題、やんなよ、と自分にいいたくもあるが、それが関心事だから、それこそ、しかたない。

あと一息で、今年も終わる。
あー、しかし、真剣にやっているといえば真剣、安易といえば安易。

とまれ、現在、ふたたび、地獄のなかを彷徨っている。リンボ・バラッド。