日本ロマン主義/アジア主義

松本健一竹内好論」「大川周明」、橋川文三「日本浪漫派批判序説」、江藤淳小林秀雄」、大江健三郎万延元年のフットボール」とかを一気に購入。竹内好はいままで読んだことがなかった。「アジア」関連で。
 橋川文三のも、なんども読みかけたが、ついに読まなかったままだった。それは、どうにもその批判対象に興味が持てないからだった。半分ほど読んだいまでも、日本浪漫派などどうでもいい現象だと思われる。だが他方で、なんとなく意識の片隅に潜むものでもある。私は、本居宣長の「面白さ」がまったく了解できないので、「もののあはれ」とかいって、「からごころ」を叩くなんていうベクトルが、アホにみえてしょうがない。鎖国体制の「体制」あるいは「内部」がよっぽど好きなんだろうなとかいうこと。
 だいたい、「内」だって、「外」だろう。土方巽はこのレベルの認識にたったひとだ。

まあでも保田与重郎のねじれた文体は、というか、そのねじれの魅力は、あるのだろう。「悪美文」というらしい。
…ま、最後まで読んでからにするか。上海で俘虜になったとき、「鬼畜米英」を見て、「あな面白」と素朴な驚嘆の念を抱いたという挿話があるが、これには笑った。白人の面は、白いよな、たしかに。保田のだじゃれなのか、それとも真剣に、そのようにいったのか、真剣だとしたら、そこにはなるほど、ヒューモアがまったく欠如しているわけだ。つまり自身の対象化という契機がないということだ。で、この自己対象化あるいは客観化なしに、「自己否定」していっても、それは否定性となんの関係もない、ただの自己愛探求の苦しみみたいなもんだ。

 それで、竹内が「自己否定」の人らしい。竹内が、「コギト」に関わっていたというのは知らなかった。「近代の超克」も読まないと。

 日本浪漫派よりもやはり気になるのが、というかもともとの動機だったのが、日本におけるアジア主義/大アジア主義である。
 大川周明については、やはり丁寧に考えたい。古在由重が検挙されたとき、古在を擁護したこともあったという。吉野作造の弟子であり、またレーニンロシア革命にも理解を示した。で、井筒俊彦とかにも連なる。大川にもまた、ロマン主義が流れている。読み始めて実に、おもしろい。

 日本におけるロマン主義
 
これはむろん、いまでも変奏されている。

民族主義革命、か。脱亜論よりも、アジア主義の方が断然、面白い。が、むろん、問題はアタリマエおおありである。


それにしても、この手の本、15年前ほどには、どこの古本屋でも手に入ったのに、いまではだいぶんその手の古本屋もなくなった。というか、日本近代思想関係のもの、特価本に出されていって、どんどん消えていったんだ。