二重間接照明

先日、モニターのバイトをした。その内容もまたおもしろかったのだが、なにより、その場所であった東商ホールの照明に感動したのだった。菱形格子とでもいうべきようなもので、なんともかんともすばらしい。光の色は白で、ひとで-海星状の立体格子のカバーの向こうには、おそらくは蛍光灯があるのだろう。この感性はもしかするとあまり一般的なものではないのかもしれないが、なんともかんとも好きである。
 あれは、ある意味で、やはり間接照明といえばいいのだろう。そしてあのような照明がいつごろより採用されていったのか、どこからそのデザインが発想されたのか、知らないが、私はあの光に、「昭和時代」を感じる。
 幼いころ、祖母に連れられて、親和銀行佐世保本店にいったものだった。金庫の独特な質感のある内部空間も、なんとなしに覚えている。ちなみにこの銀行は、建築物としてもよいもので、なんとかというその道では有名な建築家の設計である。経営不振で大変であるらしいが、仮に倒産したとしても(失礼)なんとかあの建物だけは残してほしいものだ。
 その銀行のロビーの照明が、あのような白い光であった。また、市役所ではない、別の準公的な組織(商工会議所)系列のホールも、あのような照明だったような気がする。
 丸の内や神保町などの古いビルディングにも、あのような照明が、残っている。

なにがポイントだろうか。蛍光灯など、どこにもある。だが、あれらの照明は、間接照明なのだ。通常の蛍光灯のは、直接照明である。厳密にいえば、蛍光灯は、灯管自体によって、間接照明ではあるが。それでいえば、二重間接照明である。
 そして、この二重に間接化する発想の原型に、私はなんとなく、障子(明かり障子)の照明理論を想うのである。
以前、谷崎の「陰影礼賛」についてすこし触れたことがあった。以降、なんとなく読み直そうとしているが、いまだ果たせていない。
 なんにせよ、私はあの柔らかな障子的な間接照明は好きである。そうして、おそらくは海外より輸入された蛍光灯の光も好きなのだが、それをさらに柔らかくした、あの二重間接照明については、その希少性(少なくとも私は日常的に体験することはめったにない)からいって、より魅惑的である。
 この間接化は、ヨーロッパのレースカーテンとはまた異なるものだ。このあたり、まったく未知の世界であるが、おそらく、ヨーロッパで紙をあのように照明を使うことはないのではないか。
 とまれ、これは、折り紙が、「襞」であるという意味で、また「襞」である。光を折り畳んでいる。
「襞」という現象自体はおそらく、普遍的な文化現象であろう。ヨーロッパの「襞」については、とりわけドゥルーズが、「バロック」と関連させて考察している。しかし、この日本の「襞」に、「バロック」というカテゴリーを適用するわけにはさすがにいかないだろう。