「民衆」の概念論

10年ほどまえ、学生生活を終わろうとして、大学院進学を考えていたころ、構想した主題が、「民衆」とは何か、というものだった。論文本体の主題は、各論であり、より個別の領域に限定していたのだが、その序論、予備作業としての主題設定であった。そのタイトルが「『民衆』の概念論」であった。
 その後、視力減退やファミリーアフェアのため、学究を諦めざるをえなくなったがために、それは構想のみで終わった。あるいは、かりにその主題が、絶対的に重要で、かつ問題構成の視座がクリアなものであったならば、そのころの私をとりまく悪しき状況を振り切ってでも、学究を続ける意思を形成させてくれたかもしれない。
 しかし、やはり無理ではあっただろうか。あのような家族の混乱のなか、学究生活を続けるには、いわばマルクスにとっての資本主義の分析がそうであったような、主題と生との関係が形成されなくてはならなかったはずだった。現在の時点から振り返っても、それは無理なことだった。あのような膨大な負債と困難な状況を与えられたなか、とてもではないが、なにができただろう。それはいうなれば、二年間で、30億円を稼ぐようなことでなければ、解決することではなかった。むろん、そのようなことは、通常、無理である。それで、あの時の私は、別のアイデアで埋め合わせをした。結果はといえば、一人を失うことになった。しかし、あれ以外には、選択肢はなかっただろう。そうでなければ、全滅であった。
 いま書き留めたいことは、そのファミリーアフェアのことではない。逃れれない当時の現実の状況によって中断された論の構想についてである。
 
 「民衆」概念の史的研究のようなことはすでに多数、研究の蓄積がある。芳賀登『民衆概念の歴史的変遷』1984,雄山閣出版など。

 しかしながらいまネット検索しても、やはりこの論の問題構成には、さまざまな問題がある。プロブレマティーク=問題構成それ自体から、考え直す必要があった。あのころも、そのことは分かっていた。しかし、手に余った。
 
 そうして、いまは、いまだけなのかもしれないが、ある安定した生活を送ることができる。状況の過酷さに対するヒステリーも、大分鎮静されてきている。やっと、向き合えるような気がする。