感情-エメ・セゼール

「帰郷ノート」が脳天に直撃しました。帰郷ノート/植民地主義論 (平凡社ライブラリー)

感情の砲撃のような、ことば。
感情は、翻訳を超えて伝わる。
この「Cahier d'un retour au pays natal」を、明らかにパゾリーニは読んでいる。
それどころか、パゾリーニ詩編ギニア」は、セゼールへの返歌とすら思われる。「返歌」というと語弊があるかもしれない。ヴァリエーションというがいいか。

パゾリーニ詩編ギニア」はすさまじいものであったのだが、このセゼールを読むと、パゾリーニの天才性は、このセゼールの受容にあったといえるのかもしれない。すくなくとも、こと「ギニア」に関する限りで。

パゾリーニギニア」にせよ、セゼール「帰郷ノート」にせよ、むろん、原語で読みたいのだが、翻訳を通じても伝わってくる異様な、感情の運動がある。すなわち、怒りの感情である。

 何もいいたくはない。ただただ、この詩編は偉大だと言いたい。出会えてよかったと思う。

セゼールの無茶苦茶な、詩法をずたずたに切り裂いていくような仕方に比べると、デレック・ウォルコットすら色褪せて見えるほどだ。いや、技法においてどうのとかいうことではない。ランボーピカソセリーヌもすでにいた後でのものという点では、モダニズムの詩法としてどこまで評価できるか、知らない。しかしこうした「普通」の「批評」的な言い方を、この言葉に対してぶつけることはできないだろう。
 (しかし同時にとりわけランボーの詩法があったからこそ、セゼールもその表現を可能にしたのではないか)
 (ーいいや。そうだとしても、この感情を表現論に回収することほど、恥ずかしいこともないだろう。)

感情。歴史。白人たち。

レコンキスタイスラームとの長い戦争を経た白人たちにとって、インカ帝国を滅ぼすことも、マルティニャックのカリブ人を絶滅させることも、なんのことでもなかったのだろう。

…こうした詩編を書いたセゼールのその後の政治家としての苦悩も…


人種主義。

白、黒、黄。

黄色人種についての言説…

黄禍論