サーク:メロドラマ

土曜の夜、ダグラス・サーク・ナイトに行った。@渋谷シネセゾン
上映されたのは、
ダニエル・シュミット「人生の幻影」
デトレフ・ジーレク(ダグラス・サーク)「南の誘惑」
ファスビンダー「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」


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シュミットは、実に記録がうまいひとだ。そして、ダグラス・サークのことばがすばらしい。ありがたかった。
 ナチについて、…なんであんなことになったのか、こないだもひとと話していたのだが、あれはプチブルのせいだったのだ。ドイツのプチブルが政治をやるとああなったのだ…。まだ政権を握ってまもないヒトラーと会ったこともあるサーク=ジーレクは、どうせすぐ政権は交代するだろうとしか思えなかった、まさかのちにあのようなことになるとは予想もできなかったという。これについては、最近出版されたばかりの、というかこの日の上映会はその出版記念上映会であったのだが、サークのインタビュー集「サーク・オン・サーク」サーク・オン・サーク (INFAS BOOKS―STUDIO VOICE‐boid Library (Vol.1)) でも語られている。いま手元にないので記憶にたよるが、当初サークは演劇をやっており、その演出は斬新であったという。ブレヒトの話しや、「三文オペラ」は、ヴァイルの音楽の方が刺激的であったこと、レーテ共和国とトラーの話し、ピスカトーア…。このインタビューはまだはじめの数ページしか読んでいないが、非常に面白く、ドイツ演劇史の資料としても読める。
 シュミットの記録映画に戻ると、円という象徴は、古アッシリアの概念では、死を示すものであり、これは円が生の円環を示すという伝来の考えかたを揺らす衝撃的なものだったとサークはいう。たしか「円現」という訳語があてられていたエンテレケイアの通説的な解釈のことをいっているのだろう。そしてこのエンテレケイアについてはゲーテもどこかで語っていたが、この映画のラストでは、ゲーテの詩が暗誦される。闇、欲望の炎、生、死という語があったかと思う。どの詩かはわからない。
 この円環=死というデータから、サークは、ハッピーエンドとは生の賛歌であるというよりもむしろ、死に耐えることなのだという旨語る。この絶望ぶりは、むろんナチ体験から発生してきたものだろうが、その語り口は、まるでベケットのようである。サークの顔も、ベケットや岩淵先生の顔のようである。
 パノフスキーの生徒でもあったサークは、枠組み、奥行き、象徴などのおそらくはサークにとっての基本概念について語る。
 ダグラス・サーク、メロドラマのハードコアとでもいいたくなるほど、ゲーテのように厳密で手堅い。そいうえば、かのウルトラ小説ゲーテの「親和力」も、メロドラマのハードコアである。DVDでいずれは出されるのだろうが、楽しみだ。   

「南の誘惑」、「ペトラ」についてはいずれ。


映画は頭を解放する


トークショーで樋口さんがおっしゃっていたのだが、ファスビンダーの「映画は頭を解放する」は、600部しか売れず、900部が裁断されたという。なんという野蛮!


古書センターで、ジーン・リースの「カルテット」発見。こんな翻訳が出てるとは。