Umwelt/概念、作業、ステレオタイプ

先週より。
エックハルト「神の慰めの書」。

videodance。サシャ・ヴァルツ「koerper」、マギー・マラン「Umwelt」。
ヴァルツについては、個人的な関係(思い入れ)が強いので、いつかまた。
マランのは、うーむ、きつくて、途中退出。
マランの「拍手は食べられない」は結構好きだっただけに、残念。
コンセプチュアルに走って、ダンスをおろそかにすることを、悪意だと思っているとしたら、すごく素朴である。
いやこれは一般的な規則としては、自分にも適用されることではあるのだが。
まあ自分のことは棚上げとして、あれはまずいと思う。ただ、音響は嫌いではなかった。
もうすこしいえば、あれがなぜ30分でなく、一時間なのか、あれだけ延長というか持続させる意味というか、効果がわからない。
「アート」として抽象化したいということか…。
しかしマランほどのひとであるなら、やはりガンガン新しいダンスを提示してほしい。
コンセプチュアルのベクトルでいくのであれば、コンセプチュアル演劇の作業に比べると(絶対演劇派。オストオルガン、モレキュラーシアタ−、クアトロガトス。)、いかにも弱い。あるいはダムタイプの薄められた反復でしかなく思われるのだ。
 Umweltはおそらくは、というかあきらかに、ヤーコプ・フォン・ユクスキュル男爵の「生物から見た世界」のなかで示されている概念であるが(翻訳語は、環境世界、環世界)、それはたとえばダニの世界(知覚世界?)はどのようなものか、それぞれの生物がどのような「世界」あるいは「環境」(→環境世界)に住んでいるのかを探求したものである。
 いまだ拾い読みしかしていないので、なんともだけれど、「Umwelt」は、今日の世界はかく断片的で、全体性を失い、各個人は分断されていて、それぞれの個人はあたかも別種の生物であるかのように、それぞれの「環境世界」を生きているというようなことが、作品のコンセプトになっているようだが、やはり疑問符を出さざるをえない。
 結局、コンセプトとダンスが対応していないということか。あるいは、ダンスの観客は「ダンス」を見たいのに、「なんとなくアートパフォーマンスのようなものあるいはコンセプチュアルアートでいきますみたいなもの」を見せられた感がする。
 「ヴィデオ」だったら、早送りの刑に処せられるものだ。
コンセプトとは日本での翻訳語では概念である。いま「ダンス」と「コンセプト」を分けたが、むろん、たとえばピュアな「ダンス」においても、コンセプトはある。どのようなダンスにもダイレクションつまり演出=方向性はあるということと同様である。
 マランの今回の作品がなにに失敗していると思われるかといえば、コンセプトをダンス=運動イメージに練り込むという作業である。コンセプトはダンス化されねば、それはダンスとはならない。これは案外、定義論などの問題などではなく、ごくごくふつうに、トリシャ・ブラウンなりフォーサイスなり大野一雄なりの練り込みといった作業を前提とするかどうか、つまり歴史あるいは状況認識、それこそ、アートの一領域としての「ダンス界」という環境世界内の文脈とどう向き合うかということである。最低限、ダンスに内在すべき線があるということか。「ダンス」の概念あるいは定義を拡張させるために、いわゆるコンセプチュアルに、あるいはメタレベルを提示することが、逆に言えば、なされていないということか。
 …視聴覚優位主義に対して、知覚一般を提示したことが、結局はデリダ=ナンシーらのいう触覚の問題性に向き合うところまでいたってないということかもしれない。
 作業の方向がそこではなく、やっぱUmweltを提示したかったということだとしても、そのコンセプト自体を裏返したり、パンを捏ねるように練り込んでいって、表層のレベルを多様にかつ複雑に多層化していくこと、レイヤーをとりあえず増やしていくこと、そういうことが作業されないと、「このコンセプトでやります」といういわば序文的な宣言以上のものが見られない。
 ほじくっていくと、また新しいところに触れてしまう。
ステレオタイプしかないということなど。
そしてまた、純粋ダンスもまた、結局は存在しない。それはつまりは作業、練り込みの問題であるからだ。…
そしてまた、マランの「Umwelt」がもつ問題性は、なじみあるもの、つまりパフォーミングアーツなりコンテンポラリアートにおいてもよくあるものつまりはステレオタイプであるということだ。
 

 ヴァルツは、かつてのイマージュオペラの方向性とかなり類似しているので(というかヴァルツに勇気ずけられもし、したがってかなり影響を受けたので)、自身の位置取りにおいて、非常に厄介な感慨があった。

 この二本を見て、メランコリアにかかる。

その後、james BrownのDVD「The Lost Tapes」を購入し、その本物のグルーヴに痺れる。
その後、弟に導かれ、YouTube。JB、イギー・ポップ、プリンス、マイケル・ジャクソンらの踊りを堪能する。

videodannce。ヴェラ・マンテロ、クリスチャン・リゾー&ラシッド・ウラムダン。についてもまた。