健康ファシズムについて(「医療・近代・身体」続き)

 イギリスでは2001年に肺癌患者の20%が入院待機中に症状が進み(当然である)、手術不能になったという。
 これは明らかに制度の不全であるし、殺人とすらえいえる。こういうと健康ファシストは、肺癌患者なんて喫煙者だから、自業自得だと、信じられないことをいいいかねない。
 これはシミュレーションではあるが、制度に従順なファシストたちは、制度を批判的に捉えることができず(このファシストの心理において、おそらく、「自己」は「国家」や「自国民」と同一視されている)、それゆえ責任は制度にではなく、意図して煙草を吸うがゆえに肺癌となったものの自己責任であると言い放つことは十分ありえる発言として想定できる。これはファシスト、国家の奴隷お得意の「問題のすりかえ」論法の一種をシミュレートしている。そしてこの「問題のすりかえ」論法(というか詐欺といった方がより正確であるかもしれない)は、以下に述べるように、今日、現実の社会でも、「生き生きと」している。

そもそも健康ファシズムにとって喫煙者は「人間」ではなく「悪の実行者」である。健康ファシズムについてもまた面倒なのだが、「健康」に害を及ぼすのが煙草だけというのもほとんど論理が破綻していることはいうまでもない。健康ファシズムへの抵抗運動に私は基本的に賛同するものだが、パラフレーズすれば、自動車の大気汚染や酒などもむろん「健康」には悪い。過剰摂取はそれがビタミンであっても、偏食ともなればやはり「害」である。
 そしてなによりも、過度な労働倫理や時間管理による(その結果としての過重労働)、つまり資本主義によるストレスこそ、「害」の最たるものである。もちろんさまざまな環境汚染問題もそうだし、薬害エイズに象徴される医学制度もまさに「害」である。

「健康ファシズム」のうち、煙草に焦点を特化した「禁煙ファシズム」が、その根底から間違っていて、その「健康増進運動」こそ本来の健康の理念に背く「害」であるのも、「健康を脅かすもの」を煙草だけに絞り込むことで、その他の「害」から目を背けているからだ。このすり替えは非常に悪質である。煙草がなくなれば、「健康」になるという短絡イデオロギーは、まったくもってそのばしのぎのうっぷんばらしの迷信に他ならず、一見、科学的根拠を持ち出すから分かりにくくなるけれども、それは実際には、より本質的な問題から目を背けるための姑息な論法にすぎない。
 
 禁煙運動に関しては、分煙だけでもういい。それ以上は、煙草を非合法化するしかないだろう。瑣末な細部にばかり拘泥して、一向に、より全体的な社会問題の連鎖を見ようとしないことは、はっきりいって、愚かどころか犯罪である。

 禁煙ファシズムの本拠地はアメリカである。この「健康ファシズム」が今日のハイパー資本主義の主導国から生まれたのは偶然ではないし、やはりその過剰な性格を見るにつけ、その動機はむしろ「健康」という理念への信奉というよりも、自身の社会システムの矛盾や問題から目を背けるための公認イデオロギーの一種であると考えざるをえない。
 この健康原理主義ファシズムにおける熱狂主義はなぜそこまで熱狂できるのかといえば、それがひとつには、国家と「科学」つまりは「権威」と「権力」によって保証されているからである。
 先ほど「うっぷんばらし」という表現を使ったが、まさに小ファシストは、「権威・権力」を自身の根拠とすることで、その権力を、対象者へと施行する。ここでいう「対象者」とは、この権力の力の流れに準じない者のことである。
 この権力の再生産過程における力の流れにおいて、逆行はありえない。だから、仮に批判があっても、それはただの「わがまま」とかいうことで処理される。権力に対する批判それ自体がまずありえないからである。しかしこれはあくまで現象の次元の話しであって、この現象を支える構造についてはまた別の考え方をしなくてはならない。
 
 こうした権力の流れである「健康ファシズム」はもちろん、その正当性の根拠を医学に置いているし、実際、この運動に加担する医者は多数である。
 そして医学的な根拠などというけれど、その実態は、統計的な数値である。
喫煙行動とガン発生率の統計表に限らず、統計的根拠全般がそうなのだが、それはそもそも近似値である。統計とは、ある母集団において、性格というか特徴となる点の分布を見て、ある一般的な傾向を割り出す作業である。当然、そこにはその傾向に入らない点もある。
 ガン患者へのインタヴューから、おそらくあれらの統計表は作られているが、受動喫煙によるガン患者のデータなどは、近親者に喫煙者がいたという証言などをもとに作られている。
 肺癌の理由のひとつに喫煙があることはたしかに否めない。だが、近年明らかになったように、アスベストなどもあるし、大気汚染なども要因のひとつに挙げられる。
 話しは別にむずかしくなく、煙草のみが肺ガンの原因ではないということだ。ガンの原因はもっと複合的であるし、それに、ガンの内、肺ガンだけが問題とされるべきでもない。

 話しはより一般的なところへいくが、ガンの理由として例えば遺伝子の傷という言い方もされる。それはある分子生物学的な観察の結果ではある。だが、このガンの原因として遺伝的要因を持ち出すことも、実際には詐欺であるといえる。
 なぜなら反復になるが、ガンの原因の最たるものとしては、「ストレス」があるからだ。この「ストレス」についてもたしかに厳密な研究が必要だろう。だがある「ストレス」が、ある一連の習慣を産み、結果、健康を損ない、死に至ることはもはや疑う余地のない、ごく一般的な社会現象として観察できる。
 最近は、経済システムが変化したこと、というか構造不況が続いたおかげで、もはや往年の高度経済成長という神話的なイデオロギーは破綻している。たとえば若年層の労働市場を見ても、労働による社会の再生産という点からすると、ほぼ完全に破綻しているといってよい。
 こうした経済制度の問題の原因のひとつに、労働に関する考え方や労働倫理を若年層が受け入れられなくなったということがある。社会が存続するためには、これはやはり改善されるべきである。
 そしていま政府は教育機関に焦点をあて、「愛国心」の教育などといっているが、本末転倒というべきだ。これについては一言である。「国を愛せ」という命令などではなく、「ひとびと(若者)に愛される国」になるしかない。こうした問題に、「抜本的な解決」などはないはずである。地道な社会改善しかない。
 
話しを戻してまとめると、禁煙ファシズムの過剰さは、やはり異常である。その愚かしく押し付けがましい熱狂主義的な側面を差し引いて考えても、あきらかに「禁煙ファシズム」は、他にやまほどある社会問題に向き合おうとはしていないがゆえに、間違っている。