Seoul,2

打ち合わせのため上渓Sanggyeに行く。乙支路3街より忠武路で乗り換えると40分くらいで着いた。
 タクシーに乗り、街を眺めていると、ここは郊外の住宅都市で、道路や並木などが整備されていて、きれいな街である。
 打ち合わせをとりあえずすませる。みなさん、すごく親切で温和である。
音の編集で少しもたつくも、首尾よく終わらせることが出来た。

 しかし、イタリアの時に音の編集で痛い目にあったので、やはりMaxかなにか買って、自分で編集しないとだめだなとあらためて痛感する。
 
 二週間ほど前、imovieで編集をしてみようと思い立ち(たしかuさんにそのことを聞いたのだった),字幕編集などでなんかいろいろ遊べて、すごくそのことは主題の整理に役立ったのだが、CDRに焼けなかったので、残念だった。とはいえ、CDRは、読み込みで失敗することが普通によくあり、本番中でも当然のように音とびしたりするので、せめてでも音楽ソフトでしっかり編集しないとダメなのだろう。

 木村さんに聞いて、昌徳宮チャンドックンに行くために恵化で降りる。
 このときあることを思い、感情が高ぶってしまい、悲しみというか残念さというか、うまくいえない感情の状態になり、心内で泣く。

 それは隠さずとも、旧大日本帝国主義の失敗と、それからとりわけ西欧諸国の帝国主義と経済、つまり資本主義の歴史をめぐることだった。
 
 このことは前も触れ、これからも触れることだが、日本が帝国主義国家として世界にアピールしていったそもそもの文脈として、西欧帝国主義にどのように対処するかということがあった。
 このことは、旧日本のファナティックな帝国主義の個別の問題点ばかりあげつらい、先行世代を糾弾することで、問題解決とするような考え方では、見えないことである。
 それゆえ、このような「公式左翼」的な「批判」に対する反動が、いとも容易に、しかもほとんど悪夢のパロディのごとき今日のような事態をもたらしたのである。このことは、はっきりいって、左翼の責任である。
 もっともここでいう「左翼」が歴史的になんであり、なんであったかについても、また大変な作業が必要なのだが。
 
 マルティニャック島のカリブ人のこと、アフリカのこと、インドネシアでジドーさんらが言った「おれたちは今でも白人を許せない」といった言葉。印象的だったのは、ポルトガル人への言及だった。まだ調べてないが、大航海時代から初期資本主義(その実態は武力による強奪であるが)にかけて、ヨーロッパ人がなにをしたか。その一事例としてインドネシアのジャワ島でポルトガル人がなにをしたか、ここもあらためてしっかり知らなくてはならない。
 以前、「山椒大夫」について調べていて、奴隷交易の主題に触れるなか、イタリアで日本人奴隷がいたことをなんとか使節が目撃し、その報告を受けた秀吉が、宣教師に相談したところ、話は決裂し、たしかスペインだったと思うが、ほとんど戦争になる寸前だったこと。バテレン禁止令を出したり、なんとかするうちに、スペイン帝国からすればあまりに遠いと思われたのか、ついに戦争にはいたらなかった。
 だがこの西洋よりの圧力は、おそらく秀吉を不安にさせ、あるいは、「帝国主義」が転移し、結果、朝鮮征伐に至ったと考えられる。
 秀吉の選択は、今日にまで反復されるほどのものだったし、また秀吉が直面した問題は、その後、鎖国体制というアイデアを産出する。
この鎖国体制について、ルネ・シュレールはその歓待論のなかで、たしか「賢明であった」といっていた。

 もし当時、実際に西欧列強との戦争が始まったとしたら、どのような結果になっていただろうか。

 当時の西欧諸国の軍事力と日本の軍事力とを調べたりすることも、この件に関しては必要である。

 詳しくは知らないが、おそらく日本は負けていただろう。
 そして日本の領土はなくなり、スペインなり何なりの西欧の帝国の統治下になっていただろう。
 当時の帝国のことだから、またぞろアフリカから買った人々を連行してきていただろう‥
 こう考えると、当然ながら、江戸時代はないわけだ。

 しかし必ず、抵抗運動は起こっただろうし、独立革命も果たせてはいただろう。
 
 だが、ハイチ革命のように、フランスのいやらしい交換条件などをつきつけられ、まんまと騙されていたことだって、また十分にありうる。

 ハイチについては、ドキュメンタリーを見て知ったことだったが、なんでもフランスは、独立を認める代わりに、たしか金銭を要求した。そして、その返済がまだ済んでいないことが、今日のハイチの混乱の大きな原因のひとつである。ここもまた調べないといけない。

 
 もちろんこのように随想するからといって、その動機は、日本の旧帝国主義を肯定するためではない。

 しかし、秀吉であれだれであれ、連中がどれだけファナティックだとしても、自分らの文化的親族との関係を打ち消し、侵略にいたるという考え方を採用した理由を、人格的な理由にしてすませることはできないと思われるのである。
 むろん、結果としては、実際にそのようなことをやり、ひどいことになってしまったのだが。

 
昌徳宮はたしかに美しい宮殿であった。なんか儀式みたいなことをやっていた。
ここはソウルに来たら必ず寄るがいいと思う。

それから、連絡通路を渡り、宗廟に行く。
宗廟を出ると、そこはまるで上野公園で、カラオケ大会で、おじさんおばさんが大勢いて、すごく盛り上がっていた。

そこから歩いて、鐘閣にあるソルロンタンの店まで歩く。とてもいい感じの風情ある店で、味は驚くほど薄い。テーブルの上にあった塩だか砂糖だかを入れるのかもしれない。でも、薄い方がいいかと思い、そのまま食べる。

 なんか全般的に、日本での韓国料理は、日本人に合わせているのだだろうが、濃いのではないか。いや、それはそれでおいしいからいいのだが。
 それから仁寺洞インサドンを抜け、ああここは以前おそらく来ただろうと思った。工芸品、美術品の通りである。
 
そして景福宮キョンボックンに行く。でかい。これもまた調べないといけないが、仏像などがまったくないので、仏教ではなく、儒教系の建築になるのだろうか。まあ、李王朝の宮殿であって、寺ではないのだが。
 ゆっくり回りたいところである。ちょうど、今日は朝雨が降ったあと、曇りで、後時々晴れたので、散策には適していた。
 国立民俗博物館と、国立古宮博物館に行く。

古代なんて、まったく日本と同じである。

こんなことも思い起こせばまた当然なのだが、大体、「日本人」なんて誰のことなのか。

 大陸からやってきた渡来人が大和を統一し、蝦夷熊襲を征伐=併合していったわけで、まあ古代帝国の時代になると、またいろいろ話がふくらんでしまうが、日本は中国帝国に独立を承認させるまでは、中国の一部だったわけだし、というか、ひとが一緒だろうと。まあ、ここは中国の歴史の話になるので、ここもやらないといけないのだった。
 この流れでいうと、「中国人」って誰だみたいな話になるから。

つまり、これはやはり国家による「民族」の統一という問題である。

 「ネーションステート」というと、近代の国民国家が‥みたいな話になるが、そもそも、国家が成立すると同時に「民族」カテゴリーは導入されるわけで、それはつまりは近代に限らず、広く「国家の神話」あるいは国家のイデオロギーの要素なのだった。

 近代市民革命によって、とりあえず西欧において国家は契約関係として編成されるも、やはりその後、たとえば最も極端な例でいえばナチが古代的な「民族ー国家」へと回帰しようとする。

 なぜこうなるのか。

 「絆」を強めたいということもあるだろう。
 しかし、なんのための「絆」であり、なんのための「統合」で、なんのための「純粋化」なのだろうか。

おそらく、目的などない、と思われる。

あるのは、現に存在する「不安」に対して、それを消すために、フィクションとしての「敵」=[他者」=「不安の原因」を作り、それを「消す」ということだろう。
 
国家も、意思決定機関である以上、それは行為をする主体である。

そうすると、やはりフロイトラカンの自我論を適用すること、たとえば国家ー主体に適用して、構成していくことも出来るのだろう。

 集合的「自我」とでも言うのだろうか。

こうした一連の随想も、もちろん、日本がこれから韓国とどのような関係を結べばいいのかという問題のなかでのことである。そして新しい関係のモデルを提示するためには、こうした一般的な問題を考えなくては、なしくずし的に相互嫌悪になったり、あるいは逆になしくずし的な友好関係になったりするだろう。
 
 とはいえ、問題はそのようなことでは、やはりないと思うのだ。

国家がどのようなものであるべきで、国家の持つ力を、どのように制御すべきか、それと平行して、できたら連関させながら、経済のこと、幸福の問題とか、その他もろもろ、国家にかかわる問題、国家にかかわる主体の問題を、考えていかなくてはならない。
 こうした未来の次元から考えないと、個別の問題を考えるにも、その文脈に引きずられてしまう。
だから、いくら国家をなくせといったり、国家とは暴力装置に他ならないとか当たり前のことを、さも理論的な新発見のようにいったところで、何の提言にもなっていない。その手の本は、率直にいって、ロマン主義的な自己表現のナルシシスム的な肯定以上のものではないと思う。

 まだ未読だが、柄谷行人の新書で論じられているような、「資本」や「民族=国民−ネーション」を超えて、新しい「共和制」へ、というのは、もちろん重要な問題提起なのだが、ちょうどデリダが共和制なるものと民主主義なるものを区別する必要があるといっていて、つぼはここかな、と最近思っている。つまり、共和制ってどうか、ということ。