ベネディクト・アンダーソン+デリーロ

先日、慶応大学にてベネディクト・アンダーソンの講演を聞きにいったが、2005年に早稲田大学で行われた講義が、光文社新書になって出ていたので、佐世保で買って、読んだ。
 アンダーソンの「想像の共同体」は、思えば、卒業論文の最重要文献のひとつだった。(その後、売却という愚行をとってしまったため、あらたに購入しなくてはならない。幸い、増補版ではなかったので、厳密にいえば二重購入ではない、とは自分への慰め。)
10年ぶりにアンダーソンの本をあらためて読んで、やはり興奮してしまった。
ナショナリズムの両義性や、アナキズムのネットワーク、グローバリゼーションの両義性や、初期グローバリゼーションのことなど、どう考えればよいのかわからなかったことが、分かりやすく、論じられている。
 「論座」7月号でも、「排外主義は成功しない」と語られており、またこの新書のなかの質疑応答部分でも同趣旨のことが語られているが、たしかに一聴するに、楽観的にすぎるかなとは思いつつ、今日の排外主義はまたパロディ程度のものにすぎない、とも見ることができる。
 日本政府および日本社会の「多数派」における排外主義と、アナクロニックな軍事主義なども、国際的には、幼児症として見なされるのだろうし、事実、無視されている。
 連中のいう「国益」のことを考えるのなら、当然のことながら、周辺諸国とは友好関係をとるしかないはずなのであり、上海でも日本企業ががんばっているのを見ると、闇雲に「グローバリゼーション反対!」と唱えることで、何事かをなしたかのような気になるのは、無責任な、もうひとつの幼児症でもあるのだろう。(ここいらが、両義性の問題)
 アンダーソンの研究領域は主に19世紀から20世紀前半までを扱っており、ただちに現在のグローバリゼーション問題に対応するものではないが、それでも、グローバリゼーションはなにもビル・ゲイツによって開始されたわけでなく、20世紀初頭には、すでに初期グローバリゼーションが形成され、情報は、今日から見て驚くほど、世界規模で流通していたことなど、キューバ革命とフィリピン革命などを事例に語られ、むちゃくちゃ面白い。
 フィリピンのことも、もっと知りたくなった。

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)


また、入手し損ねていたドン・デリーロの「アンダーワールド」をようやっと購入し、読み始めたが、私は前に読んだ「ボディ・アーティスト」がまったく面白くなく、とくにその文体が、技巧的にはすばらしいとは思うものの、カズオ・イシグロなどに比べれば、なんということもないものだと読後感じたものだったが、この「アンダーワールド」では違うだろうと思い、期待していたら、案外、同じで、どうも私はデリーロをとうてい好きな作家だとはいえそうにないのに気づきながらも、軽快さなどは楽しめる。
 まだ読み始めたばかりの時点でこういうのもなんだが、ぜひ後で裏切られたいと思う。
比較するのもなんだが、おそらくは「アンダーワールド」に触発されていると思われる「半島を出よ」の方が引き込み方はずっとうまい。やっぱ日本のことを扱っているからか、あるいは日本的な文体=思考形式で書かれているからか。あるいはデリーロの文体は、もしかしたらポエテイックにすぎ、それゆえ、翻訳しにくいのかもしれない。