ベルイマン「サラバンド」

外回りの後、ユーロスペースベルイマンの「サラバンド」を見た。面白い。顔の描写が、すごい。変態親父役の役者の演技、あれは地じゃないか、といいたくなるほど、鬼気迫るものだった。とくに、自分の父親に、なぜパパは私を嫌うのかを問い、それへの答えを受け、悲しみと怒りとみじめさとどうにもならなさの感情の混合状態を圧縮した顔、義母に教会で嫌ごとをいうときの意地悪で無垢な笑顔、愛しすぎた娘に最後の演奏をさせるのを凝視する顔。気持ち悪くてすごいものだった。
 人生の秘密というものがあるとすれば、それは愛のありかたにまつわるものであろうが、ベルイマンはその卑俗さという次元での真実を明るみに出している。このような境地も、様々な経験を通過した老いの知恵によるのだろう。経験の果ての老いによる認識は、事象への距離感が一定程度自在である。他方、そのような老いも全能でもなんでもなく、若くしても同様の選択をするかのように、高貴とはほど遠い、卑俗さを選択する。
 感情という戦争機械…たしかに、愛においてもまた、あるいは愛においてこそ、「戦争と平和」が繰り返される。キルケゴールの「あれかこれか」が「サラバンド」では引用され、…登場人物は四人だけだが、そこで人生という出来事が、父と子、男と女、夫と妻の組み合わせのなかで、愛が、試され、実行され、紡がれていく。
 このベルイマンの、イプセン的な透徹した観察は、単純であるがゆえに強い構成もあいまって、豊かな鑑賞体験となった。ベルイマンは昔ビデオで二三本みたきり、あまり印象にない作家だったが(高校のころだったからあまり理解できなかったのだろう。溝口の「雨月物語」も同様、高校のときに見てさっぱりわからなかった。)、こうして大画面で出会うと、全作品を見たいと思う。
 正月公開されるオリヴェイラの「夜顔」もはよ見たい。リンチも見ないといけない。

金曜の夜に、客数も少ないなか、映画を見るということが、福岡時代に映画館に通っていたことを思わせて、なにか懐かしかった。