事に触れる:「徒然草」157

徒然草」157段に、「事に触れる」ことについて書いてある。

「心は、必ず、事に触れて来る。」

事に触れれば、心が湧く。なにかに接触すれば、気持ちや感情が必ず湧いてくる。
 法師はだからよくないことはしてはならないという。


また、「触るるところの益」にも触れてある。

「あからさまに聖教の一句を見れば、何となく、前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。仮に、今、この文を披げざらましかば、この事を知らんや。これ則ち、触るゝ所の益なり。」

なにかに触る(関わる)と、つまりなにかしらをしていると、よいことが起こる場合もある。

「事・理もとより二つならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。」

事も理ももとは二つではない。事象も道理もつながっている。

外見が理に背いていないのであれば、内面は必ず成熟する。
形式ばかりだとせめるべきこともない、と続く。

まあ内容はともあれ、文字通り、この文章や語句が面白い。