人工眼とかについて

「Boston Retinal Implant Projectボストン網膜移植プロジェクト」が人工眼の移植の試作に成功したそうな。
 まだ限定的な症状(加齢性黄斑変性症)に対してのみ有効らしいが、眼球にチップを埋め込み、細い電線で脳とつなぎ、そこから光信号を脳に送るしくみとのこと。
身体はまさに機械であるということや、身体と電気との関係についてあらためて再認させてくれる。
周囲になにがあるかぼんやりと感知できるくらいまでにはなっているそうだ。
 数年前にテレビのドキュメンタリーでやってたものと同じ計画かもしれない。あのときは、眼から赤い光が出ていて、それはそれはリアルターミネーターだった。

アメリカのフロンティア精神というのは相変わらず健在といったところだが、日本の医療からこの手のニュースが飛び出してこない気がする。
 思うのは、このようなプロジェクトは、医療とロボット工学なりなんなりが相互に連携して、おそらく国もそれを援助しながら、やってるのだろうと思う。
 しかるに日本は、どうか、こうした横の連携というのはどれほど行われているのだろうか。行われてもおり、そして成果もあるのだろうが、一般にあまり報道されていない気がする。

ま、米国の医療費のことなどを考えると、一概にはいえないものの、冷戦時代の宇宙技術競争を思い出すと、こういうところで、代理戦争やってほしいなと私は思う。スポーツもいいのだが、あれはポトラッチ以外の機能をはたしているか、疑問である。いやいやスポーツはスピノザの「身体がなにをなしうるのかわれわれは知らない」ということを認識させてくれるのだよという声が一瞬聞こえたが、身体の可能性の拡張ということでいえば、スポーツはもはや限界に達していて、PCや工学の進展に比すると、もはやその役割は終えた、と思う。つまり、自分の身体を動かすという意味でのスポーツはむろん永久に必要だが、スペクタキュラーな鑑賞対象としてのスポーツについてはもはや驚きがない。オリンピックのことだが。
サッカーやテニスなどはスポーツといってもチェスや将棋に比すべきゲーム理論的なものであるからこれは違って、つまり一秒でも記録を上げるとかいうアスリート的な競争に関して。

ところで、米国の医療についてちょろっと調べたら、まあたしかに恐ろしいのではあるが、麻酔でまだ痺れているのに、「二時間寝すぎ」といって、追い出されたりするらしい。
が、これはこれだけで考えるとひどい話にように思われ、また実際ひどいのかもしれないが、日本でいうなら、ダラダラ入院する患者が多いことで、報道もされている「たらい回し」のような悲劇も起きるのではないか。
 私自身もかつて角膜移植手術をしたとき、病院が大阪だったもので、東京との往復を考えると、入院を続ける方が合理的だと思い、そのまま次回診察まで滞在したことがあった。そのときの体験はまた「魔の山」のようで面白かったのだけれど、「たらい回し」問題を考えると、入院は厳しく制限される方がいいと思う。さすがにすでに対策はとられていくのだろうが、他方、意外といまでもそのへんは甘いのではないかとも想像する。

米国の医療事情というか、その医療費についてはよく意味がわからないし、そりゃもちろん、医療費ということだけでいえば、日本の方が断然進化しているとも思うのだが、その分、医療スタッフに負担がいっているような気もする。
たまたま友人に医者が多いので、ちらとちらと現場の声も聞くのだが、そして勤務先によってもばらばらなのだが、かなりきついらしい。
 
でもまあ、技術の発展そのものは、非常に喜ばしい。なんといっても、私が現在両目を使えるのも、技術のおかげだから。

http://www.bostonretinalimplant.org/