露伴の戦争論

 露伴先生が戦争について面白い言い方をしていた。

動物力が智巧の加はつた武器を持って争うのが戦争である。戦争の目的は敵の力の破壊であるが、戦争は破壊の競争である。破壊は偉い事ではない。破壊で偉いのは人として偉いのではない。人として偉いのは、平和の競争に勝つ事である。文明の進歩に貢献することである。国と国との争いは、戦ばかりではない。戦は常の状態に非ず、変態である。日本が戦争に勝っても産業に負ければ、破壊に長けて、平和の競争に低能だと云う事になる。

「動物力」とは、先生、本能のようなことをおっしゃってるのでしょうか。
動物的な裸の欲望のことなのでしょうか。
 それにしても、破壊が偉いことではない、というのはまさにその通りでございます。
 
引いた文は、『露伴全集』別巻上拾遺にある「欧州の大乱は日本の産業の振起に絶好の機会を与えたり」という文のなかからである。この文は大正三年九月に書かれている。大正三年とは、西暦1914年であり、8月に、日英同盟を契機に英国より要請を受け、日本は、ドイツに対して宣戦した。
 大隈重信首相は、英国からの要請を受けるや、御前会議にもかけず、議会の承認と軍との相談もないまま、緊急会議において、要請から36時間後に、参戦を決定したといわれる。後、ドイツが権益を持つ青島や南洋諸島を攻略する。
19世紀にドイツがスペインから購入した南洋諸島でドイツは要塞化を進めていた。ちなみに日本は第一次世界大戦以後、ヴェルサイユ条約により、1922年より赤道以北の南洋諸島委任統治する。第二次世界大戦より1994年にパラオ共和国が独立するまでは、米国の信託統治領であった。このドイツの「要塞化」が気になった。
また、西部戦線では、当初19世紀的なロマン主義でもって彩られていたが、以降長期化した理由のひとつでもある塹壕戦によってこのロマン主義は粉砕する。総力戦体制も現実のものとなり、犠牲者数は、当時史上第二位で、900万以上であった。それまでの史上一位は、太平天国の乱で、その数は2000万人ともいわれる。…そこまで大規模な乱だとは知らなかった。
 さて、ドイツの、南洋諸島における要塞化と塹壕戦であるが、これはもう、太平洋戦争における日本の戦略のモデルになったとしか思われない。そういう意味では、第二次世界大戦第一次世界大戦とは、いかにも連続している。
 とはいえ、事に触れて書いているように、「戦争」に至る思考過程には、過去の記憶などが動員されることがそもそも多い。大日本帝国主義における西洋列強脅威論も、信長や秀吉や江戸幕府にまでもさかのぼることができる。つまり、「脅威感」というのは、歴史のなかに刻み込まれると、痕跡なり影なり亡霊となり、再び現れる場合が多い。
 今回のチベット問題にしても、中国の思惑は様々あろうが、そのひとつに「オイラート脅威論」があるだろうと思われる。

露伴先生に戻る。
この社会論説にあっては、題通り、日本産業が論じられ、また経済的自立論が唱えられている。たとえば「只管他国の輸入品に頼るのは、貰い水根性である」などといっている。「自分の井戸を掘らず、他人の井戸水を貰って暮らす人間の根性である」と。
 また、「元来日本は、萬の物足りる国である。日本人は外国の輸入品が無くって困る程のケチな人間ではない」ともおっしゃり、以下、日本は十分自律可能であることを力説なさる。
 まさに露伴先生がこの文を書かれた約一世紀後の現在、同じことが日本および日本政府に求められている。すでに多くの論者が、経済自律論を展開している。そしてどう考えても、経済的自立、自給自足率を上げることは今後ますます必要だろう。
 ここでいえば、「中国脅威論」の不安感の原因は、中国への経済的依存関係にある。そしてまた、そのことを外交の道具として持ち出されているのもたしかだ。
 中国との関係をなくすことはありえないとしても、それを抑え、できるだけ自律させていく方向が必要ではないか。
 むろん、中国とは友好関係が望ましい。だが、だからといって、利益的観点を理由に、チベット問題に対して無視するのは、やはり「義」(後述する「法」)に適っていない。
 中国とチベットとの間に対話は必要ではあるが、そもそも、日本と中国だって、もっと対話が必要なのだ。歴史認識問題にしても、しつこいくらい、議論したほうがいいだろう。
 そのためにも、経済自律は、可能な限り、目指されるべきだ。

せんだって、九州に滞在して思ったことのひとつは、ちょっといくと、いくらだって土地はあるし、農地にすることだってできる。農業政策については、考えてみれば、江戸幕府のノウハウがあるではないか。