朝鮮半島認識問題と「神の国」

 なお、露伴先生は、別の文「評判や噂に囚われず事実に就いて自己の判断を下せ」において、ドイツのベルギー侵攻について憤り、これでは秀吉の明を討たんがために朝鮮に道を借りんとしたことと同じだといいながら、「無道」とおっしゃる。それはいいのだが、しかし「況や朝鮮はもと我が属隷であったのである。それ故豊太閤の挙行にはなお幾分かの理由がある」と書いておられる。
 この文が書かれたのも同じ大正三年9月なのであるが、なるほど露伴先生においてもすら、当時はこうして朝鮮は元来日本の属国というような認識になられるのか。
 日本の朝鮮半島認識の歴史はすでに研究もされ多くの本があるが、不思議なのは、露伴ほどの江戸通であっても、こうした明治的な帝国主義的な歴史認識にそまっているということだ。それで調べると、どうも国学・水戸学・吉田松陰などにおいて、古代日本が朝鮮半島に支配権を持っていたと「記紀」にあると唱えたらしい。これが露伴先生にも入っているのだろう。

古代史を調べていると、朝鮮半島とはいろいろと複雑なのだが、倭国はすくなくとも、朝鮮半島の諸国に対しては、対等なものと意識してたようだ。
 白村江の役で唐・新羅連合軍に敗れてからはとりわけ新羅への対抗意識はあったようで、記紀をぱらぱら読んでいると、「新羅征伐」などとよく出てくる。
 むろん、ここには百済からの亡命者・難民の声も入っておるだろうと思う。

以前私が思っていたようではなかった。つまり、日本は朝鮮半島を先進国であるとは思ってはいたが、それがゆえ自己卑下などはしていなかったようである。
 倭国そしてのちの日本国がやはり逆らえなかったのは、中国ないし大陸であった。
とりわけ、神風のおかげで助かったとはいえ、元寇の際の戦闘では武器の圧倒的な不利もあり、ひどく負けてからはなおそうだったろう。しかしその後大陸はわざわざ侵略には来なかった。元寇体験でいまも残るのは、この「神風」感覚である。
 
 別件で調べていたら、いまだにヤマト朝廷の成立過程は明らかではないという。「記紀」も含め、当時の判断で都合の悪いものは焚書したと、北畠親房がいっているらしいが、さもありなんで、結局、邪馬台国にしてもそうだし、また言語学・人類学的にもいまだ未定なのだが、つまり日本の出自、由来が不明なのである。
 そしてどうなっているかといえば、日本が神の国であるという、いまだ謎の発言をする政治家たちが多い原因となっている。つまり、いまだ日本は神話的な国家観を持つものがある。
 
神の国」であるといえば、ほとんど世界のどこの社会も国家も、「神の国」だ。無神論が多いといわれる西欧だって、それは若者が無神論なだけで、体制としては「神の国」ではないか。
 その意味では、日本が「神の国」であるともいえるのだが、しかし、日本のみが「神の国」なのではない。
 すくなくとも、それを国際社会でいえば、すでにそういう反応があるがごとく、失笑されるだけだ。なぜなら、それはいかにも政教分離はまだです、といっているがごとくでもあり、また米国ですら、「十字軍」とはいったけれど「神の国」とはいわず「アメリカ」といっている。
 だから、「日本は神国である」といわずに、「日本は日本だ」といえばいいのだ。もちろん、その「日本」がなんであるかを説明しなくてはならない。