資源・エネルギー・反短期的観点

露伴先生のおっしゃった自立論は、資源問題についてもいえる。
 昨今、石油資本の蠢きによって、ますます各国で「資源ナショナリズム」が勃興し、日本は石油獲得戦争に負け続けている。この自国の資源は自国で管理しようとする「資源ナショナリズム」によって、すでに資源は金で買える「市場商品(コモディティ)」ではないとすらされる。また石油はその最大生産量の時期(ピーク・オイル)を近いうちに向かえ、後減少していく。
 もはやどう考えても、石油に代わる代替エネルギー社会を構築していくことが、おそらくは日本の最大の喫緊の課題である。むろん、そんなことはすでに了解され、方々で開発研究が行われているが、まだまだ消費量の1パーセントにも満たない段階であるようだ。
 原子力発電は日本の得意な技術領域だそうで、現在さらに進化した「スーパー軽水炉」に期待が集まっている。
 たしかに、現在エネルギー消費量では世界4位といわれる日本の消費量をそのまま持続させることや、時間とコストとをかねて考え合わせると、もはや原子力しかないようにも思える。が、素人ながらやはり原子力は危険性が高い。すくなくとも事故の可能性を絶対的に否定することはできない。絶対的に事故が起きない、とは論理的にはいえない。なのにそれをいうひとがいる。これも「官僚」。どうせいうなら、たしかに事故が絶対に起こらないとはいえませんが、最善の努力を尽くしているし、もはやわが国にはこれしかエネルギーがないのです、とかいうくらいいえばいいのに。しかしまた、後述するように「原子力しかない」というのも、違う。

 私の一市民としての希望をいえば、まずは長期的な環境的観点を優先させる。そうすると、自然エネルギーのあらゆる視点からの利用を考えていくのがいい。
 アイスランドを見習い、水力発電地熱発電、それから太陽光発電(シャープは太陽電池の世界シェア4割を占めるという)。太陽光発電方面の開発では、蓄電システムが重要らしい。それから、風力発電
 私などは、よく分らないが、海の波の運動をエネルギーに変える技術はないのかなと思う。自分がいま中学くらいで、理系の科目が好きだったら、こうした環境資源技術の開発の道にすすみたいものだ。
 海でいえば、海洋温度差発電の研究もあるという。
 あと、なにやら海底に氷結してあるメタンハイドレートなるものの実用化も進んでいるらしい。
 驚いたのは、歩行や話し声による空気振動をエネルギーに変換する音力・振動力発電などもあるようだ。これがひどく面白いのは、実現化した場合、コンサートなりレイヴなり盆踊りなり花火なりよさこいなりあるいは暴走族の騒音すら、エネルギーに変換するという。
 自分たちで体動かして楽しめば、その分、そこの場所の電気となるという。
これ、すごい話。まだ研究中のものだが。

いずれにせよ、無駄な官僚などさっさと縮減して、こうした開発に税金を使うべきだ。 

リサイクル社会というのも、理念の方向性としては正しいだろうが、アルミ缶やビンを除くと、現時点ではあまり意味がないという意見もある。ペットボトルなどはリサイクルするよりも燃やした方がいいという説など。
 
 「エコ」と称して、無暗なそして無意味な「美化」政策などが各自治体が取っているのも問題で、そもそも「歩行中禁煙」などとペンキで歩道に書くことこそ、「カンキョウ」を乱していないか。もうここはあまりにくだらない反応しか予想されないので、いうのもあほらしいのだが、そんな注意を示す塗装だとかシールだとかのコストはまったく無駄なのだから、つまりそんなの無視されるのが落ちなのだ。「権力の犬」どもがどれほどぎゃあぎゃあいおうとも、こうした無視だって、「民衆の抵抗」だし、くりかえしばっかだが、分煙で終わり。分煙施設ついでに、公共のごみ箱なども設置して、そこにも灰皿を置くといい。これは私がフランクフルトで2004年に体験したことだった。フランクフルトでは目ぼしい信号機の柱にゴミ箱が設置してあり、それは灰皿としても使用できるようになっていた。いまは知らないが。
 
 自転車についても。自転車などは環境的観点からすれば、未来の乗り物である。実際、映画「タイムマシン」では2030年には自転車ばかりが通っていた。このエコ的想像は、すでに西欧社会が導入している自転車社会を踏まえたものだろう。
 日本はといえば、「撤去」。延々やってる。なんでも北朝鮮に売ってもいるとも聞くのだが、もうそういうことはやめて、まじめに考えたらどうか。
 たしかに、東京は人口が多すぎるということもあるが、石油を使わない自転車をもっと優先的に考えて都市計画をする必要がある。
 
 これらの政策を実現するにはどうすればいいか。財源は、自動車からとればいい。マイカーというのは、あらゆる観点から見て、「過剰」なもので、それは削減された方がいい。自動車税を一台あたり10万なり30万なりつければ、どれだけの税収になるか。金額はともかく、イギリスではこの政策もすでに実践されている。
 なお、これは物流に対しては免除されるべきだろう。そもそも、マイカーのような趣味的消費のものと、経済システムのひとつの根幹である物流とを混同してはならない。
 なのに、最近は知らないが、一時の過剰でオバカなヒステリー対策で、物流業者の一時停車も「違法」とかわけわからんことやってた。「社会」をいかに考えていないかの証左である。
 別のおりにも触れたが、既存交通機関の再整備と、こうした自動車税、自転車社会の構築、などでずいぶん変わると思う。
 また、飛行機は残念ながら、石油を使うから、これ以上便を増やすのはいかん。すくなくとも、代替エネルギーについて、航空会社自身も開発していかないといけないのではないか。

 なおついでにいえば、私は愛煙家だが、煙草にももっと税金かけてもいいと思っている。

しかしこうしたヴィジョンも、既存大企業がすべて潰すのだろうと思う。そうなると、あとはお先は暗い。つまり、日本の未来をつぶすのは、目先の利益だけしか見ない短期的視点である。

 またついでに、タバコの識別カードタスポだが、これも導入するのにどれだけ費用かけたのか。自販機業者との談合か。とにかく、こんなのゲーム理論やればすぐわかるように、不良少年は、先輩の不良から借りるに決まっている。事実、新聞でもそのことがすでに報告されていた。無駄だ、とてつもなく。意味なし。