チベットはチベットである:帝国主義の超克

承上、書き直す。というかこちらの方が先に書いてたもの。
最近は、在日朝鮮人問題についてある事情で振り返って考えているのだが、そのなかで、どうしてもやはり「あの戦争はなんであったか」ということが文脈としてある。文脈どころか、様々な事由で今日にいたるまで残存してきた諸問題の原因のいくつかもそこにある。
 で、図書館で、クリストファー・ソーン「米英にとっての太平洋戦争」草思社という本に出会った。まだ未読だが、福田和也のネタ本のひとつでもある。
 ソーンをはじめ「あの戦争」関係の本をちらちら知ると、当時の日本は、英米の世界戦略に完全に巻き込まれた格好である。
 そしてそれから原爆投下の真の原因にしても、同様、米英の世界戦略によるものであったわけで、ここいらの話は、おそらく一部の研究者を除いて、一般には認知されていないところであり、そしてその真実については、多くの人が、まさかと思う内容である*1
 事柄が大きいのでいまは措くが、そうして今回のチベット問題についても、いまだ英米の世界戦略がちらちら窺える。
 米国は今回は慎重だが、英国は、どうにもうずうずしている感じが最初からあった。これは私の素人感慨ではあるが、とりわけ英国の対決姿勢の基盤には、また戦争とそれによる利益獲得の欲望がちらちらと見えるのだった。
 それで、以下の田中宇さんによる記事を読んだ。
http://tanakanews.com/080417tibet.htm
 正否はともあれ、この記事は必読である。

まず、昨今の市民運動と米英の世界戦略との関係、およびチベット問題との関係についてはこういわれる。

ウクライナグルジアの反ロシア民主化運動では、米当局が裏で運動の技能を伝授していたことがわかっている。チベットの反中国運動も、冷戦の一部に組み込まれ、歴史的に米英当局の影響下にあった。
…今回の騒乱は、もともと反中国的なチベット人の国際組織作りを手伝ってきた「人権外交」を推進しようとする米英の諜報機関が、組織内の過激派を扇動し、米英マスコミにも大々的報道をさせて拡大した動きと考えられる.

「人権外交」。

以下は、「民度」の問題にも関する。

国民にうまいことプロパガンダを信じさせた上で行われている民主主義体制は、独裁体制より効率の良い「ハイパー独裁体制」である。独裁国の国民は、いやいやながら政府に従っているが、ハイパー独裁国の国民は、自発的に政府に協力する。その結果「世界民主化」の結果であるアメリカのイラク占領に象徴されるように、独裁より悪い結果を生む。

…欧米や日本の人々は、中国人が共産党政権下の歴史教育で洗脳されていると思っている。だが、実際のところ、先に強い先進国になった欧米が、後進の中国やイスラム諸国などに対し、民主主義や人権、環境などの問題で非難を行い、あわよくば経済制裁や政権転覆をして、後進国の安定や経済成長を阻害し、大国化を防ぎ、欧米中心の世界体制を守ってきたのは事実である。日本も戦前は、欧米に対抗して大国になる努力を行った挙げ句、第二次大戦を仕掛けられて潰された。

 ここらへんがソーンらの議論と関係する。
 「近代社会の倫理」を超克しなくてはならないということは、かつての日本の知識人の課題であったのだが、これはむろんポストコロニアルだのポストモダンの倫理的課題でもある。
 つまり、それはいまなお課題であり、そこを真摯に考えていかないと、日本は引き籠りを続けるしかなくなる。しかしながらここは本当に大変な問題で、…まだまだ暗澹たる作業が必要なのだ…。
 しかしながら日本は、善悪以前に、「あの戦争」と「戦後」を体験した。
ウェルズやソーンなどもいうように、日本軍の戦闘が西洋の覇権幻想に楔を打ったことはたしかであった。なぜならまさか未発達な下等な人類があそこまで奮闘するとは予想していなかったからだ。そしてそのような人種主義的驕りの崩壊感覚は、ひどい恐怖感を生み、さる映画研究家によれば「猿の惑星」はそのときの恐怖感が原型にあるといわれる。
 そうしてさらに日本は去勢されつづけているとはいえ、ありえないとすら思われる復興を実現した。米国はボロを時々出しながらも、なんとかその復興の運営に協力してきた。…
そこには、「共産主義」勢力への前線基地として日本が非常に重要な地点にあったということもあっただろう。
あるいはまた、ロシアへの牽制と実験を目的とした原爆投下が、さすがに良心を苦しめたことがあったような気もする。ちなみに、東京裁判が間違いだったと認めたマッカーサーも、東京裁判法の不遡及という点で違法であったということでそう認めたというより、日本人がサルでなく、人間であったことに後で気づいて、彼の良心を苦しめたからだろう。まあ、「I shall return」といってコレヒドール島で部下を見捨てたことへの恥ずかしさからであったかもしれないがっ。
 いやここは、もっともっと慎重に考えないといけないのだが、問題は相変わらず、英米を筆頭にした覇権体制である。

…先に強くなった国は、国内政治手法も先に洗練でき、露骨な独裁制を早く卒業し、巧妙なハイパー独裁制へとバージョンアップできる。その後は、露骨な独裁制しかできない後進国を「人権侵害」の名目で経済制裁し、後進国の追随を阻止できる。最近では「地球温暖化」を理由とした経済活動の制限という、後進国妨害戦略の新たな手法も編み出されている。

とりあえずここは、「人権」概念がまさに世界政治の掛け金となっていることについての明瞭な分析のように思われる。

また、中国と「非米同盟」と世界多極化について。

政治的には、チベット問題によって中国と欧米の関係が悪化することは、中国をロシアやイランなどの「非米同盟」の側に近づける。従来の中国は、欧米中心の世界体制の維持に協力し、日本のように、アジア勢ながら欧米中心の世界体制の中で主要国の一つとしてみなされることを目標にしてきた。
…しかし、世界ではこの数年間で、過激戦略の(意図的な)失敗の結果としてのアメリカの影響力低下、欧米中心体制の弱体化と、ロシアや産油国など非米同盟の台頭が重なって、覇権の多極化が進行中だ。中国にとって欧米は、以前のような怖い存在ではなくなりつつある。

それで、

米英諜報機関チベット人の運動を支援してきたのは、もともと親英的な「英米中心主義」「中国包囲網」「冷戦体制維持」の戦略のためだったが、ブッシュ政権は、英米中心主義者のふりをして諜報のメカニズムを乗っ取り、それを米英中心体制を潰して世界を多極化するために使っている。米英イスラエル間はここ数年、スパイ大作戦的な諜報の暗闘の中にある。

 それにしても、米国の世界の多極化戦略があるとして、どういうことなのだろうか。米国の多極化戦略についてはまた調べるか。…多極化的状況が、米国にとっては現状維持になるということなのか。紛争の火種を世界中に拡散させることで、好きな時に戦争をしかけることができる、という戦略なのか。…よくわらかんが、どうもそれっぽいな。
 少なくとも、英米が、真剣に世界平和などを願っていないことはここ200年の歴史が証明してくれる。というかまあ、ここは次の主題だが、「世界平和」というとき、世界中の国々が争いもなく、シーンとおとなしくしているような像はまったく現実的ではないということがある。
 だから、たぶん、「世界大戦」はそれこそもう懲りたのだろうが、低強度紛争にうまく介入していくこと、そしてそれを惹き起していくことで、外交的利益を獲得したいのだろう、といったところか。…グラムシだな。

再び、中国と非米同盟について。

…上海では4月16日、イラン核問題の国際交渉が初めて中国で開催された。…中国政府は、これまで欧米が脅しによって成功できなかったイランの核廃棄を、非米同盟的な協調外交によって成功させることができるかもしれない。そのことと、チベット騒動の五輪問題で中国が欧米を見限るかもしれないという動きとが、同時に起きている。

これらの記事は、複雑に入り組んだ国際政治の思惑の姿を見るうえで、すくなくとも、検討に値する分析である。
 しかし、どうすればいいか。