韓図

明治期の翻訳過程においてドイツの哲学者イマヌエル・カントを「韓図」と表記していた、というのは知らなかった(小島毅『近代日本の陽明学講談社、99頁)。
 ついでに、もしphilosophyを語源に忠実に「愛知学」と訳していたら、「ドイツの愛知学者、韓図によれば、ひとは愛知学を学ぶことはできない、ただ愛知することだけを学ぶのであるー純粋理性の建築術」となる。
 そんなこんなで100年経てば、愛知県もphilosophyを県に縁あるものとしてなんたらやっていたかもしれない。韓図の銅像を駅前に立てたり。
  
 井上哲次郎門下の蟹江義丸は明治30年には「韓図の『道徳純理学』便概」、明治31年には「韓図の哲学」という論文を書いている。また蟹江はスコラ哲学を「煩瑣哲学」と訳している。「煩瑣」とはあまりに主観的。

 明治の日本哲学徒にとってカントが殆ど聖人視されていたのを見るには、井上円了が創設した中野の哲学堂公園に行くとわかる。そこでは孔子仏陀ソクラテス、カント(孔釈瑣韓)が聖人として祀られている。ソクラテスとカントをこうして祀っているのはたぶん世界でここだけだろう。