平田篤胤と阿蘭陀的アンチノミー

阿蘭陀といえば…
これもまあなかなか調べるのが億劫になってきたのでここに記しておくと、というか、結論=仮説を先にいうと、
平田篤胤の教理がどうにもスピノザの汎神論の影響を受けているのではないかと思う。

篤胤は宣長原理主義者のカルトというイメージが強いが(神学者だったからそれは当然なのだが)、大変な百科全書派でもあり、よく蘭学を勉強していたといわれる。
そこで、キリシタン政策というファクターはもちろんあるものの、当時の阿蘭陀からの書籍がどれだけ日本に入り、海賊版なども含めて、どのような情報が事実上流通していたのかを探ろうとした。すると、阿蘭陀風説書なりなんなりいろいろあたらないといけない羽目になり、また膨大な迷路にはまるなあと思い、中断していた。

それで先日丸の内オアゾに新しく出来てた丸善を散策しながら思い当たったのが、それは篤胤の蔵書を調べればいいのだと気づいた。

金地院崇伝なども敵教であるキリスト教神学を分析していたといわれるし、著述もしている。織豊時代から江戸初期にいたるその手の作業がなんらかの形で篤胤にまで伝わったとも考えられるが、やはりそれよりも阿蘭陀のからの伝来書籍のうち、哲学書思想書が入っていたはずだから、それが何なのかを見出したい。

幕府側は阿蘭陀の思想書について、「これは切支丹の書か」と問うた。
阿蘭陀商人は「いいえ、これはむしろ切支丹を批判したものでーす」と答えた。

当時の阿蘭陀が本当にすごいのは、貿易利権のためにはキリスト教さえも捨てるその「近代性」である。
まあ当時の欧州宗教戦争は、ざっと読んだ限りでも、軍事技術の程度の差こそあれ、その戦争体験は、第一次第二次世界大戦に匹敵するものではなかったかというくらい、陰惨である。
あのような内戦を体験すれば、植民地主義でのホロコーストもルーティンのようにこなせるというものだ。
偽装棄教なんぞ屁でもないわ!という感じだったろうか。
…というか、今時の欧州の若者では半数以上がキリスト教なんてどーでもよか、といっているとベルギー人がいっていた。
日本の若年層が神社とか寺とかに観光で行く感覚に近いかもしれない。
たしかに、19世紀から20世紀初期にかけての欧州文学、ユイスマンスであれバルベー・ドールヴィイ(Barbey d'Aurevilly→なんと日本語版ウィキペディアに項目なし)であれベルナノスであれボードーレールでさえも、どうしても切支丹臭が強すぎてもはや読めないのだが、20世紀後半期以降ともなれば、小説であれ映画であれさすがに「神の死」が前提となっているように思う。アングロサクソンは例外として。
…そもそも、ソレルスカトリック回帰したという話しを90年代に聞いた時点で、「本当に神は死んだのですね」と思ったものだった。ま、あれは半分ギャグ/パフォーマンス、半分本気ではあるだろうけど。

そういえばいま書いてて気づいたけど、ミシェル・ウェルベックってソレルスから思想とかそういう文化史的なものを除いて、ポルノとグチに純化したヴァージョンだったんだ。「ソレルスの亜流」か。ま、『素粒子』も『プラットフォーム』も漫画的に面白いが。

阿蘭陀人の根性の話しだった。
身捨つるほどのものはなにか。
それは自由!じゃなかった、利益!
でもそれを表に出すのは下品だから質素に。
この阿蘭陀商人のニ律背反=アンチノミーは後にカントによって精緻に理論化される…

ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をむかし読んだとき、カルヴァニズムについてなんとなくフランスを想定していたのだったが、あれって阿蘭陀人のことだったのだ。

…そうして、篤胤翁の精緻な教理にも阿蘭陀=マラーノ=スピノザ神学が入り込んでいるということからすれば、篤胤神学における産土神(うぶすな)とは、生産=資本主義の象徴ともいえる。