爪の歴史

今日はplanBにて稽古。構成をまったく変える。曽我さんの話しもあいかわらず相当おもしろい。
そうですね、私はもっと絶対的に肯定しなくてはなりません。いままで、長い間、私は自身を否定作用に委ね過ぎた。私は束縛されていた。なにかに支配されていたし、隷属していた。
 ニーチェを読んだところで、毎日それを読んだところで、それはケースが違う。
 私は私なりに道徳の系譜学を書かなくてはならない。なにに隷属してきたのか。私の自己は。
 経済的自律なしに、自由はない、とひとはいうし、私もそう思っていた。物事を断片的にしか眺めることができない。一瞬、ヴィジョンが見えた、と感じられたこともあった。だがそれも日常の反復のなかで消失していく。幾度も。強くやましさを感じもした。父を見殺しにした、など。だが、それを私は仏教のある説話で、「ごまかしてきた」。場当たり的にしか対応はできない。通常は。私の場合は。一気に解決することなどできるわけもない。肯定するしかない。無視の暴力を戦術として持つこと。
 親父は51で死んだが、それを踏まえれば、私にはとりあえず20年ある。いいや、こんな計算すら、なんの戦術にもなってない。ウメはとうに死んだ。もう10年が経つ。しかし感傷は力を弱める。しかし、ノスタルジアがある一定の持続をもたらすこともある。
 私の失われた思考能力は、ここ一年で少しずつ回復してきた。ひとと交わることで、ある実体的な戦いをすることができたからだ。しかしもういい加減、再開しなくてはならない。無関心の無限連鎖の果てに、身体があると、以前書いた。だがそれは思考能力の不全を示すにすぎない。身体などに依拠してはならない。
もっと分節化すべきだ。いいや、なににも依拠してはならない。思考の運動を信じた方がいい。トライアル/エラーでしかない。その意味ではなにも決定されなくていい。どうでもいいようなことにかかずらうこともない。閉塞していたのは事実だ。だがそれは過ぎ去ったし、忘却するべきだ。かといって開放してもだめだ。作られるべきは、いくつもの穴。いくつもの出入り口、そのヴァージョンをできるだけ多く作っていくことだ。都市のような身体/空間。あるいは、田舎のような。郊外のような。自然でもいい。空間モデルはいくつもある。気象だっていい。自伝的探究には危険がある。だがナルシシスム程度の問題は大いに肯定されてもいいのかもしれない。即自的なレベルでのナルシシズムではないのだから。そんなことではない。通過してきた。多くの出入り口を。いくつかは忘れたが、いくつかは覚えている。想起の作業を始めれば、また見えてくるだろう。螺旋だ。「なにかがわたしの頭のなかで回っています。というよりも私の頭がなにかのまわりを回っている。つまり円を描いているように思われて仕方がないのです」
 衝動の、円形の運動。円舞曲。円環が閉じられた、と私は以前書いた。だがそれは15年の円環だ。その2倍の大きさの円環はまだ閉じることはない。それは私が死んだ時だ。円を描いてみるがいい。ダンスによて。その描線の先端はすぐに空間を超えて行く。それはすぐに消失していくかもしれない。だがじっくりそれを追ってみるがいい。その突端は、いつのまにか私を背後より襲い、ついで私はその突端そのものとなり、ある別の場所へと移動していた。私はそこで爪の歴史を描いていた。引っ掻く。引っ掻いていた。私を裏側から引っ掻いて行く。私は裏返された。それは今日、起こったことだ。いやそれは兆候にすぎないだろう。だがそれはすでに幾度か、出来事として起こり、それゆえ私は踊りを続けている。踊りは私に、思考を再開始する勇気を与えてくれた。事実、それはアルトーの亡霊の為したことだ。あるいは、種子。精液としての作業。私は受胎した。精神的避妊を施さなかったおかげだ。私は白痴になることができた。しかしそこからまた、計算的理性がしつこく蘇ってくる。白痴への衝動と、理性への衝動。同じことを繰り返している。私は横にずれ、一周遅れ、前へすこし行きながら後ろへ向かった。意味方向、座標軸は当然失われた。気がつけば遠いところへ来ている。非常に孤独ではある。だがもう取り返しはつかないだろう?
 また横へずれる。また後ろへずれる。あえて遅れる。急いだとしても、たかが知れたことであることは長崎にいる時分に洞察した。放校されなかったとしたら、とは考えたことはあるが、不思議と後悔には到らなかった。結果、父を殺すことになったとしても。そう考えるのはよくないのかもしれない。だがいまはまだ大丈夫だ。十分耐えるほどの力がある。いつかまたなにかに襲われるのだろう。
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