ヘルダーリン

ヘルダーリンについてキーワードを作る。キーワード作るのは、意外と楽しい。自分でも漠然としていたデータが、まとめるという作業のなかで、整理されていく。精神衛生上も、いい。没頭するしかないし、集中できる。複数の文献をあたることになるし、年譜作成する上で、どの本が有効か、あるいは間違っているかも分かる。これはこうした作業なしには分からなかったことだ。まあ間違いといっても、1年ずれてるとか、その程度ではあるが。
 それにしても、ヘルダーリン、36年間、なにをやっていたのだろうか。小磯仁氏「ヘルダリーン」清水書院は、新書なのに、相当な情報がはいっている。この清水書院の「人と思想」シリーズ、装丁がいまいちなので、持ってたら、バカにするやつもむかしいたが、この年になって、大学・学生とかとなんの関係もなくなったいま、あらためて、いい。
 ヴァイプリンガーという人が、隠遁後のヘルダーリンを訪ね(1823ー26)、1831年に「ヘルダーリンの生涯、詩作と狂気」が出版されたらしいが、この本はどうやら翻訳されていないようだ。良書ではないのだろうか。
 手塚富雄さんの「ヘルダーリン」もあるが、昔古本屋で見たとき、すごく高価で、買えなかった。
 伝記的事実に、ヘルダーリン手淫について書かれていた。クライストも手淫に耽っていたようだ。当時、自慰は、罪悪となされていたうんぬんという話しは、綾原が持ってる「自慰」という、社会史(?)の本に書かれていた。この本、ジャン・スタンジェ「自慰ー抑圧と恐怖の精神史」原書房
オナニズムについては、たしかアタリとか金塚さんとかが論じていた。
 オナニーはまあどうなんだろう、深い問題だ、笑。いやいや、ヘルダーリンとクライストとをつなげるひとつのキーワードではあり、まじに深い問題ではある。
 とはいえ、それはヘルダーリンとは直接は関係ない、というか、今日のヘルダ−リン読解において、重要視されているのは、むしろその理論である。