田中泯「空間に恋して」@planB

planBでのミンさんは、4、5年前くらいから見続けているが、いやー、よくもまあ、アイデアがあるなーと。これはおそらく、「単一性」に到達できたから、為せるわざだろう。「単一性」とはなにか?これはぼくの根本概念のひとつである。だ、定義はまだだ。
影のヴァリエーション。その細やかな、ち密さ。冒頭は、圧倒的であった。
竹とからみだしてから、やせた、インドネシアの太陽と風土のなかを晒してきた体をさらす。単に、美しい。胸のあたりの、肋骨の線ではない、胸の中央?に、小さな線がはっていく。なんじゃー!あれはー!ぼくは、若いときはやせていたが、いま、やせると、すぐ栄養失調みたいになって、唇が割れたりするから、もうやせない、だから、よけい分からないが、あれはなんだろう、細い筋肉の線かもしれない。そうだとすると、ニ本の竹の間での、肋骨のすきまに走る線、ということで、これも「線上にて」だ。
「線上にて」シリーズ。おそるべき傑作。世の中で、ベケットだあーミニマリズムだーとかいう連中に、あれだけは見せてやりたい。ほら、という感じなんだが。ローザスのファーズに勝るとも劣らないあの傑作を。さらさんはあれについて、マクシミリストと言ったが。
 ちなみに今回、衣装を変えたのだが、それは効果がなかったように思われた。着替えは必要なかった。でも、もうミンさんのクラスは別格で、批判はない。

 上演後の談話。合田さんをかわいいという綾原、照れる合田おじいちゃん。
 ミンさん、「はー」という感じで踊ってたらしい。
 そう、本人にもいってしまったが、髪型が、大野一雄先生そっくりだった。
 舞踏界における、親族関係みたいなものを、今日は強烈に感じた。
 やはり、土方巽を起源とする「ぶとー」は、ジャンルとかではないにせよ、日本、というか東アジアの舞踊文化の歴史にある…いや、伝統舞踊においてなになに流とか、剣道とか、なんだとかの、「道」における「流/流派」というものがある…
 いや、こんなことは自明とされているのだが、そうでもない。つまり、現在、世代間交替で、非常にスリリングな事態になっているのだが、…書き出すときりないな。
 種子のこと。懐胎のこと。伝播。伝授。伝承。
アジア的時間というがいい、大きなスパンが、ある。中世的とでもいうか。
 ヤン・ファーブルも、中沢新一さんとの対談で、言っていた。
 「芸術舞踊」と民俗芸能。

上演前、ジョナサンで、真島さんと清水さんにばったり会う。

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